雪の朝
#+C #天狼×十六夜
昨晩は雪が降った。雪の下から疎らに土が覗いていた地面は、一晩でまた真白に塗り潰された。
その様を、集落の唯一の出入口の前で十六夜はずっと眺めていた。
静かな月の下で羽根のような雪は深深と青白く映った。その光の冷たさに、思わず身震いしてしまう程に。
柔らかな銀の髪にも薄汚れた褐色の外套にも、冷たい白色がうっすらと積もる。わざわざ払うようなことはしなかった。降り止むまでは、いくら払ったところできりがない。
ホクレアは寒さに強いとは言うが、寒さを感じない訳ではない。十六夜は分厚い外套の中で身を縮め、白い息を吐いてはまた一層縮こまった。
やがて雪は止み、雲が切れて月が覗く。すでに空は明るみ始めていて、ほどなく大岩の向こうから太陽が昇ってきた。張り詰めたような空気が緩み、冷たい光はきらきらと、ほんの少し暖かな光に変わってゆく。
さくさくと足音が聞こえた。十六夜、と名を呼ぶ声も。
交代かと思いながら振り向く。予想通り、歩いて来るのは次の見張り番だった。まだ少し寝足りない目をしている。
「お疲れ、十六夜。代わるよ」
「うん、よろしく」
寝るなよ、寝ないよ、と軽口を交わし、十六夜は集落の中へ入っていった。
さく、さく。軽やかに雪を踏みしめて。
のんびりと家路を辿っていると、向こうから一人、階段を降りてくるのが見えた。手を振られ、振り返すと、長い髪を揺らして駆け寄ってくる。
「おはよう、天狼」
「おう、お疲れさん。今日はちょっと早かったな」
「うん。……あのさ天狼、無理に起きて来なくていいんだよ」
「たまたまだっての」
心配そうな顔をする十六夜に明るく笑ってみせ、天狼は頭に積もった雪を払い落としてやった。
「……なんかお前って、いっつも雪乗っけてる感じするんだけど」
「なんだそれ」
まるで、十六夜が好き好んで雪を乗せているような言い草だ。くすりと十六夜は笑った。
つめてー、と口では文句を言いながら天狼は楽しそうに、今度は肩の雪を払う。時折わざと、その手が優しく髪を撫でた。
十六夜が夜間の見張りをする日には、朝の交代の時間に天狼の方からやって来て、肩や頭に積もった雪を払ってやっていた。初めのうちこそ自分でやると跳ね退けていた十六夜だが、今では大抵のことは天狼の好きにさせている。集落の中で人目を忍ぶことは案外難しく、彼らは何かと理由を見つけては束の間の触れ合いに興じた。
「なあ、十六夜」
「だめ」
「えー!」
腰の方へ伸ばした手を阻まれ、天狼は不満をあらわにした。
「なんで! いま誰もいねーじゃん!」
「天狼」
二人が今いるのは紛れもなく屋外で、いくら朝早いとは言え、誰かしら通り掛かる可能性は十分にある。天狼はそれ以上反論せず、子供のように口を尖らせた。
彼等はあくまでも仲の良い友達でいなければならない。十六夜は頭の上に雪が残っていないことを確認しながら、苦笑してみせた。それを見て渋々と一度は離れた天狼だが、すぐに肩を組む形で顔を近付ける。
「ちょっとだけ」
「だめ」
「一回だけ!」
「だーめ」
十六夜は頑として首を縦に振らず、肩に天狼の腕を乗せたまま歩き出す。
「ちぇ、ケチ」
「うわあっ!?」
見事な足払いだった。仰向けに倒れる十六夜に抱き着き、のしかかりながら天狼も一緒に雪に沈んだ。
「ちょっ、痛い、天狼、重い」
「うるせー」
「天狼!」
咄嗟に押し退けようとするが、腕力では天狼に敵わない。背中を叩いても何の効果もなかった。
「天狼……」
背中の下は雪で、じわりと冷気が伝わってくる。しかしそれ以上に天狼は温かかった。きゅっと胸を締め付けられる感覚に、十六夜は眉を八の字に寄せていた。
自分のそれより少し広い肩。そこへ無意味な抵抗を続けるこの手で、自分も相手を抱きしめてしまいたい。けれど今は。ついと手を伸ばしかけて首を振り、十六夜はその手で雪を掴んだ。
「……冷たい」
吐息混じりの呟きはぽつりと青天に転がった。
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雪の朝
2011/05/17