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​月下美人

​#幻水TK #アスアド×クロデキルド #主人公=シグ

「あっ団長さん!」
 ある日の朝方だった。食事を済ませたシグが依頼を確認しにカウンターへやってくると、モアナが勢いよく立ちあがった。
「なっ、なんだ?」
「あのねっ、ちょっと厄介な依頼が来てるの」
「厄介な依頼?」
「うん。まずはこれを読んでほしいんだけど……」
 モアナが皺くちゃの小さなメモを手渡した。大雑把な絵の下に特徴らしき事項と地名が箇条書きにしてある。
「……なんだこれ、『伝説の素材』?」
「なんでも、本当にあるのかどうかはわからないんだけど、もし見つけたら持って来てほしいんだって。目標は10日間で10個」
「じゅっこぉ!?」
「ああ、だからね、10日経っても見つからなかったら諦めるって言ってたけど……」

「今……何個だっけ……」
 疲労を押し隠すのも諦めたという顔で、シグは荒い呼吸の合間に言った。
 例の『伝説の素材』とやらは本当に存在して、山の魔物がごく稀に落とす見た目は何の変哲もない黒石の欠片のことだった。それをどう加工するのかは、シグ達の知ったところではない。
「ええと、今3つですね」
「依頼された数は10個だったな」
 道具袋を確認するアスアドの横からクロデキルドが覗き込み、無意識であろう追い討ちをかけた。
「まだ半分もいってねえのかよぉ」
 シグが思わず天を仰ぐ。その無防備な顔にべちんと平手が当たった。
「いって!」
 がばっと体を起こし、シグは鼻を押さえて平手の犯人を睨む。
「何すんだよロベルト!」
「このアホ団長! 仕事選べ!!」
 ロベルトの顔にも疲労が浮かんでいる。見ればクロデキルドも、アスアドもそうだった。この二人はまだ隠せている方だったが、四人だけで昼頃からずっと魔物と戦い続けてきているのだ。各々の体は休息を求めて軋んでいた。
「んだよ、俺のせいかよ!」
「こんな無茶なクエスト受けるからだ!」
「じゃあお前は困ってる人ほっといていいってのか?」
「そういう訳じゃない! ただ、せめてもっと人数を連れてくるとか……」
「ふーん」
「お前なあっ! 少しは真剣にっ」
「落ち着け、ロベルト。シグ殿もそう挑発しないでやってくれないか」
 クロデキルドが穏やかに割って入る。心なしか楽しそうだ。シグもにやっと笑った。
「だって楽しいんだもんよ」
「シグ!!」

 結局、日が傾いても依頼数を集められず、その日は近くの宿に泊まる、ということで一致した。
「よう親父さん、二部屋取れるか?」
「生憎だけど、一部屋しか空いてないんだよねえ……四人部屋ではあるんだけど……」
 顔馴染みの主人は申し訳なさそうに頭をかいた。
「だってさ。どうする?」
 シグは振り返ってクロデキルドに問うた。
「私は構わないが……」
「えっ、そ、それはなりません! クロデキルドさ」
「姫様!! こいつらと同じ部屋で寝るおつもりですか!?」
 アスアドを押し退け、ロベルトが鼻息荒く食ってかかるが、クロデキルドはさらりと頷いた。何が悪いのかと言わんばかりの顔だ。
「野営のときは皆一緒だろう?」
「ここは宿です!」
「な、おっさん。どうしても他の部屋は空いてないのか?」
「無茶言うなよ団長さん……」
「そんなら仕方ねえや。んじゃその一部屋頼む」
 なっ、と後ろの仲間たちにシグは目配せする。クロデキルドはすんなりと、残る二名も渋々頷いた。

 そして夜半。小さな物音でアスアドは目を覚ました。
 今の音は、ベランダへ続く軽い扉の音だろう。他の者を起こさないよう静かに身を起こし、辺りを見回す。ベッドがひとつ空になっており、窓の向こうに人影がひとつ。
 アスアドは簡単に身繕いし、扉を開けた。ベランダには小さな丸いテーブルがひとつ、簡素な椅子がふたつ。人影はその片方に腰掛け、夜空を眺めている。
「クロデキルド様……?」
 恐る恐る声をかけると、人影が振り向いた。
「アスアド殿か。…すまない、起こしてしまったようだな」
「いえ、そのような……クロデキルド様、お休みになられなくて良いのですか?」
「さあ……最近よく眠れなくてな。……そんな顔をしないでくれ。貴殿の手を煩わすようなものではないから」
 苦笑して、クロデキルドは少し緊張した面持ちの相手に隣の椅子を勧めた。
「貴殿さえ良ければ、ここにいてもらえないだろうか」
「……はい、よ、喜んで!」

 クロデキルド。アストラシアの姫君にして騎士団長。冥夜の剣士団を束ねる大きな存在。けれど今このとき、彼女はそんな肩書は背負っていない。少なくとも彼女自身はそのつもりでいる。
 彼女は『クロデキルド』と接してくれる、少なくともそうしようとしてくれるアスアドが好きだった。彼の気持ちに薄々気付いていて、決定打が向こうから来るのを待っていられる程度に。優しげで甘やかな感情が胸の奥を満たしてくれるから。

 アスアドはふと視線を上げた。今宵の月は冷たい青白色ではなく、蜜を溶かしたミルクのように柔らかな色をしていた。
 綺麗な月ですね、とアスアドは言いかけて、はっと口をつぐんだ。
 言葉の奥に秘められた意味。それを彼に教えたのは誰だったか。
 まだ告げられない。まだ早いだろう。困らせてしまうだけではないか。けれど、もし伝えることが出来たなら。ぐるぐると思考は巡る。

 急に難しい顔になってしまった相手に気分を害した様子もなく、クロデキルドは軽やかに微笑み、空に目を向けた。
「綺麗な月だな、アスアド殿」
「えっ」
 素っ頓狂な声をあげてアスアドが我に帰る。クロデキルドは空を指してみせた。
「今宵は特別、優しい色をしていると思うのだが」
 言葉通りの意味だったらしい。アスアドはほっと息をつく。七割は安心、残りは落胆だ。
「そうですね……」
 緑の瞳が指の先へと辿りかけ、ちらりと隣人を伺った。
 柔らかな、ごく淡い黄金の月光。その光が、艶やかな金の髪と澄んだ碧の双眸に映ってきらめき、白い肌の滑らかさを浮かび上がらせていた。
 アスアドは慌てて月に視線を移した。不躾に見つめてしまった非礼に焦るより、月下の神秘的な魅力の方に鼓動が速まっている。
 未熟者、と己を責めても治まらない。衝動的に伸びた腕をどうにか押し留め、テーブルの上に横たえられた白い手に自分のそれをそっと重ねた。少しだけ驚いた様子で、クロデキルドは相手の顔を覗き込んだ。
「アスアド殿?」
「あっ、これは……その」
 自分から仕掛けただけに引く術なく、アスアドは知らずその手を握っていた。上にもう片方の手を重ね、クロデキルドは促すように首を傾げて微笑んだ。
 姫や騎士としての凛とした顔とは違う、無垢な少女のそれにも似た、普段は見せぬ可愛らしい笑顔だった。妹君の前ですら、ふさわしき姉として適度な威厳を保ち続けているというのに。
 そんな無防備な顔を向けられて、頬だけに留まらず体中が熱くなるのをアスアドは自覚した。しかし不思議と目が逸らせない。澄んだ碧、朝陽にきらめく湖水のような碧に、夏木立の葉に似た、思慮深い筈の緑はすっかり捕われてしまう。
 何事かを言いかけて止め、落ち着こうと深く息を吸ってから滑らかに、アスアドは短い言葉を紡ぎ出した。
「とても、綺麗な月ですね」
「……そうだな」
 期せずして二人は空を見上げる。そのとき初めて、アスアドには月が優しく微笑んでいるように見えた。

 

 

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​月下美人

​2011/06/05

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