雪中花
#+C #連珠+歳星
ひどく寒い日だった。前日までの暖かさはどこへやら、その日は朝から空気が冷え込んでいて昼前には雪が降り出した。綿毛のような雪がふらふらと舞い、聖地に白を重ねてゆく。
「大巫女様、お体が冷えてしまいます。そろそろお部屋へ戻りましょう……?」
歳星が心配そうに連珠の方を見遣る。体の弱い主を気遣い、先程から足を止めてばかりいる。その度、構わず進んでゆく連珠に追いつこうと早足になりながら。
「私は大丈夫ですから、もう少し」
「ではせめて、もう一枚、上に羽織るものを……」
「必要ありません。もう少しだけ、付き合ってください」
絡めた指を優しく握って、鈴のような声で連珠は言い切った。こう言われてしまっては歳星に連珠を止める術はなく、付き添って行くほかない。
宮の中は静まり返っていた。きっと皆、それぞれの部屋や仕事場に篭ってしまっているのだろう。外の景色が見える回廊を歩いていても人とすれ違うことはほとんどなかった。
ゆらりゆらりと緩やかに歩んでいた連珠が、不意に方向を変え、雪の中へ降りていった。
「大巫女様っ」
慌てて歳星も庭へ降り、ぽつりと立ちすくむ連珠の傍へ駆け寄る。一言ことわってから連珠の頭にふわりと布を被せた。まるで気付いていないように、連珠は濁った空へ顔を向けていた。瞼の下でその赤い瞳が何を見るのか、歳星は知らない。
「巫の血脈がどのように紡がれているか、知っているでしょう?」
唐突に、連珠は問い掛けた。
「はい……?」
首を傾げながらも歳星は頷く。蒼穹天槍へ来て学んだことの一つにそれがあった。
ホクレアの中には、祖先から受け継いだ不思議な力を今でも顕現させられる者がいる。その者たちは巫と呼ばれ、星を読み、精霊と心を通わし、迷う人々に道を指し示す役目を負う。そして導きに従う者たちは、巫の剣となり盾となるべく、武芸に励む。大巫女と呼ばれるのは、巫の中でも特に強い力を有し、謡を繋ぐ者のことだ。その血脈は巫の筋から選りすぐられた強大な力の、けれどもか細い系譜である。
連珠の言わんとすることを察し、歳星は短く息を飲んだ。
「……大巫女という立場をこれほど恨めしく思ったことはありません」
連珠は笑みを浮かべていた。とても寂しそうな、儚げな笑みだった。
大巫女の血を絶やさぬために、彼女はいずれ望まぬ相手と結ばれる。そうしなければならない。それも大巫女の責務だから。それは歳星にも分かっていることだ。しかし、いざその日が来るまでは出来るだけ考えないようにと大して覚悟もせずに押し隠していた。それを今、彼は悔いている。
連珠はひとつ息を吐き出して、掌で雪を受け止めた。ひやりとしたかと思えば、綿毛は瞬く間に水へと変わってしまう。
「莫迦でしょう、私は。そんなことを今から憂えているなんて」
明るく繕った声には、強い哀しみの響きがあった。歳星が目を伏せ、俯く。
「……申し訳、ありません」
歳星は束の間の慰めすらもできない自分に唇を噛んだ。桃色がかった不思議な銀色の髪が揺れ、連珠が振り向いた。
「何故?」
「……私が、大巫女様の御心を乱してしまうのでしたら……私は」
「歳星」
今度はひどく張り詰めて、触れれば割れてしまいそうな声だった。悲痛な響きが白い山間に微かに反響して遠のいてゆく。
「はじめに言いました。あなたを手放すことは出来ないと」
「ですが……」
許されてはいても、結ばれることはない。それは変えようのない現実であり未来だと、どちらも承知していたはずだ。けれども少女の胸はひどく痛む。これが歪めてしまった代償だと、そう思うのに。
「……ごめんなさい」
歳星の手を取り、愛おしげに撫でながら連珠はそう呟いていた。
「あなたを責めたいのではありません。私は、ただ……そう……少し、弱音を吐きたかっただけなのです」
「連珠さま……」
哀しげに微笑んでみせ、連珠は頷く。何も言わない。喉に大きな塊がつかえたようで、口を開くことさえできなかった。
深々と、雪が降り積もってゆく音が聞こえるようだった。重苦しい沈黙。何か言わなければ、と歳星は思う。しかし、何を言えば良いのか、肝心のそれがわからない。
真白い雪が頭の中で淀んでいるようだった。目の前にある少女の姿が急に掻き消えてゆく気がして、堪え切れず手を伸ばす。次の瞬間には抱きしめていた。たおやかな花を折ってしまわないように、行き場のない力は腕の内側で震えていた。
そっと少女が手を添える。ふわりと漂う香りは花よりも甘やかで、胸の奥がきつく締め付けられたように苦しくなる。
「……連珠、さま……俺、っ……」
その先は言えず、震え、掠れる声を詰まらせた。細い指が少年の頬を撫でる。色失せた唇は薄らと開かれ、わなないていた。頬を伝って、左の指先が優しくそのかたちをなぞった。呪(まじな)いだったのだろうか。吸い寄せられるように少年がおずおずと唇を寄せていく。
音が消えた。震えるようなくちづけ。柔らかで、ひどくつめたい。
その感触が触れれば融けてしまう雪を連想させて、歳星はすいと唇を離した。じわりとこみ上げるものがあって、目の奥が熱くなった。
「……何故、あなたが泣くのです?」
「な、泣いてなどおりません!」
ごしごしと乱暴に目を擦り、歳星は洟をすすり上げた。くすりと苦笑して、連珠は眦に残ったひとしずくを掬ってやった。
雪は降り止まず、しかし徐々に水分を多く含むものへと変わっていた。歳星の肩が濡れていることに、連珠は触れて気付いた。
「随分と長く付き合わせてしまいましたね」
「いえ……俺は大丈夫です。ですがそろそろ、お部屋へお戻りいただかないと。雪もひどくなってまいりました」
「はい。戻りましょう」
歳星が恭しく差し出した手に、連珠が上から指を絡める。普段と何も変わらない。ふたりで来た道を戻り、部屋の前で別れるのだ。歳星は大巫女の寝所に立ち入ることを許されていないから。
前提をいくら変えても無意味。頭では十分すぎるほどわかっている。それでも、と。ぼたぼたと落ちるような綿雪に紛れることを願い、連珠は密かに零さずにはいられなかった。
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れんさいは雪が降る日に恐る恐る、唇に震えるようなつめたいキスをするでしょう。(http://shindanmaker.com/53071)
2011/06/10