恋苺のベニエ
#+C #オルセリート×ベルカ
しばらく無言で走らせていたペンを止め、オルセリートはひとつ息を吐いた。全体に目を通し、書き損じがないことを確かめて、便箋を折り封筒に入れる。真白い封筒だ。その口に赤い蜜蝋を垂らし、封印を施した。
それから青い目が部屋の隅に向いた。控えていた女中が歩み寄る。オルセリートは封筒を手渡し、強く念押しするように言った。
「これを、間違いなくベルカに」
「かしこまりました」
恭しく一礼して去っていく女中の背中を見送り、オルセリートはもう一度、ひとつ息を吐き出した。
夕暮れの第3王子居城、雪華宮。
「ベルカ王子殿下、失礼いたします」
一人の女中が扉を叩いたとき、ベルカはごろごろと暇を持て余していた。扉を開くと女中は白い封筒を丁寧に、だがどこかぶっきらぼうに差し出した。
「こちらを。オルセリート様より、確実にベルカ様に渡すようにと言付かっております」
「……ああ、確かに」
女中はにこりともせず、さっさと立ち去ってしまった。いつものことだ。気にせずベルカは部屋の中へ戻り、先程と同じようにベッドに転がった。
「……なんだろうな、ご丁寧に」
封筒を何度も返しながら眺め、誰にともなく問うてみる。もちろん返事はない。首をすくめて封を割ると淡桃色の便箋が二枚、きちんと四つ折りにして収めてあった。
なんで、わざわざこんな色を。訝しげにベルカの表情は歪んだが、開いてみるとその理由はすぐ判明した。
──親愛なるベルカ。
手紙の書き出しは至って普通のもの。しかし、その整った字を読み進めるうち、ベルカは顔が熱くなるのを感じた。
「な、なんだ、これ……!?」
慣れていないような拙さがあり、恋愛小説よりはトト・ヘッツェンのような口説き文句のオンパレード。気まぐれに羅列したのか、けれどそれにしてはあまりに整っていた。
まさかあのおカタいオルセリートが。あいつがこんなふざけた手紙を書くはずがない。ベルカはそう切り捨てようとした。だがどうにも気にかかる。何度見ても、首を捻って別の向きから見ても、裏返して透かして見ても、間違いなくオルセリートの筆跡にしか見えないのだ。
──今宵、逢いにゆくよ。
そのとき、扉をノックする音がした。まさか、と思わずそちらを見据える。そうしたところで向こう側が見える訳ではないのに。
「……ベルカ様にお客様です」
女中の声が普段以上に硬い。緊張しているのだ。ベルカは一度深呼吸をした。
「開いてる。通せ」
「かしこまりました。……どうぞ」
小さく軋む音を立てて扉が開くと、そこにあったのは金の髪と青の瞳、ベルカも良く見知った顔だった。
「こんばんは、ベルカ」
「まじかよ!? お前、ほんとに来たのか!」
「もちろん!」
女中がそそくさと退散していくことにも気付かず、扉が閉まるや否や、オルセリートはベルカに抱きついていた。
「ベルカ……逢いたかった……!」
「な、なんだよ……昼にも会っただろ……」
「ちょっとすれ違うだけのことを逢うとは言わないよ」
満更でもなさそうに、ベルカも相手の背に腕を回す。ほわりと柔らかい匂いがした。きゅっと心臓が苦しくなるのを何故か誤魔化したくなって、ところでさ、と少し不自然にベルカは切り出した。
「なに?」
「これはなんだ?」
一歩離れた相手に例の手紙を突き出すと、筆者は動揺する様子もなく答えた。
「ああ、それは恋文のつもりだったんだけど」
「こいぶみ!? お前が!?」
「文章は兄上の手紙から少し借りたけど……あれ、気付かなかった? 一度来ただろう、ああいうのが」
言われてベルカは記憶を辿ってみるが、見事に覚えていなかった。あとで抽斗ひっくり返してみるか、と心の中で呟く。
「ベルカ。この手紙は、決して君をからかった訳じゃないんだ」
オルセリートは真剣そのものだった。便箋を返し、ベルカの左手をとって握る。
「じゃあどういう訳でこんなの書いてきたんだよ?」
そう問うと、急にオルセリートが頬を染めたのでベルカは驚いた。おかしなことを聞いたつもりはない。
「好きだ、ベルカ。君のことがずっと」
心から愛しそうに、オルセリートは握ったままのベルカの手を撫でる。
「なんだか、居ても立ってもいられなくなって……」
ベルカにとって、この感覚、体の内側がくすぐったくなるような感覚は、とても懐かしいものだった。
綺麗事ばかり、と苛ついていたことなど嘘のように、ベルカは真っ直ぐなオルセリートを好きになっていた。いつからだったか。覚えていない。気付いたときには好きだったのだ。それはオルセリートも同様らしく、最初に彼が告白したときに同じことを言っていたのをベルカは憶えている。
『ずっと君のことが気になってた。いつからかわからないけど、気付いたら、好きになっていたんだ。』
そもそも二人は、兄弟と呼ぶには少し遠い付き合いだった。ベルカは庶子、対してオルセリートは嫡子。長兄ヘクトルは二人の弟に分け隔てなく接し、弟同士も対等でいさせようとしたが、周りのほとんどの大人たちは、場にベルカがいるというだけで良い顔をしなかった。子供のうちは気にせずにいられても、成長して周りが見えてくるにつれ、ベルカは卑屈になっていってしまった。
それから、ヘクトルが遊学に出ていくとすぐ、二人はそれぞれに『ふさわしい』生活の枠にはめられてしまった。二人を繋いでくれた兄はおらず、心置きなく会うことは叶わなくなっていたのだ。
「……俺も、お前に逢いたかったよ」
好き、とは気恥ずかしくて言えなかった。それでも、ふわっと花が咲いたように、オルセリートは顔をほころばせた。
「本当? ……ふふ、嬉しいな。来て良かった」
ほんの少しはにかんだ笑顔。見る者の心だけでなく、部屋の空気までもあたたかくなるようだ。
「ねえ、ベルカ。僕はどうしたらいい?」
「どうしたらって?」
言いながらベルカはベッドの縁に腰かけた。握ったままの手を引かれてオルセリートも隣に腰を下ろす。
「好きにすればいいだろ?」
好きに、か。少し俯いてオルセリートがそう呟いたかと思うと、瞬きの間に唇が触れていた。ベルカが言葉を発するより先に、オルセリートはその肩をベッドに押し付け、それから強い目で、はっきりと言う。
「好きにって、こういうことだよ、ベルカ」
いいの? とオルセリートは視線で問うていた。頬がほんのり色付いて、深い青の瞳が艶めいている。ベルカの目にも同じような光が宿った。その奥に篭る熱までも、伝染したように。
「言ったろ。いいよって」
知らず妖艶に微笑んで見せながら、オルセリートの首に腕を回して引き寄せる。碧のプリムシードが澄んだ音を立てた。
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恋苺のベニエ
2011/06/20