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Bright 第三話

​#幻水2 #フッチ #ブライト #ビクトール #フリック

 世界は不可思議に満ちている。学者じゃないが、そう思う。何せ、今もその不可思議が目の前で進行中なのだから。

「よおし、今日も終わった! 喰うぞ!! 呑むぞ!!」
 ここは本拠地。道場の前。訓練を終えたビクトールが練習用の剣を片付けるなり大声で言った。
「本当にお前は、それしか考えてないんだな……」
「いいじゃねえかフリック。おかげで人生楽しいぜ。な、ブライト」
「キュイイイイイイン!!」
 傍らで白い竜がぱたぱたと翼を動かした。名はブライト。フッチの新しい相棒だ。
「キュイイ、キュイッ!」
「おおそうか! そりゃいいな! 肉喰おうぜ、肉!!」
「キュイイ!!」
「よしよし、今日は俺が好きなだけ食わしてやる! 行くぞお!!」
「キュイ、キュイイイイン!!」
「あ、ブライト、お酒はダメだからねっ」
 少し遅れて道場から出て来るなり、フッチが言った。ブライトが首を傾げる。
「キュイイ?」
「ダメなものは、ダメなの!」
「なんだあ、固いこと言うなよ。フッチ、お前も呑め!」
「え? だっ、ダメですよ! 未成年なのにお酒なんて……」
 フッチは困った顔で断るが、ビクトールはがっしと肩を組んで、豪快に笑うばかり。ブライトも楽しそうに翼や尻尾を動かしている。
 ……会話? 竜と? 竜騎士のフッチはともかく、なんでビクトールが竜と話してるんだ? しかも通じているようだし……なんだこれは。頭が痛い。
 そうこう考えていると、フッチが視線で助けを求めてきた。……まあ“常識人”らしいからな、俺は。
「ほらビクトール、無理強いするもんじゃない。いい加減行くぞ」
 大きな肩を小突いてフッチを離させてやる。それから三人と一匹で歩き出す。ビクトールは何故か、階段を上ろうとした俺達を呼び止めたが。
「おーい、方向が違うぜ?」
「あれ、ビクトールさんは先にお風呂に入らないんですか?」
「……ああ、そうか。忘れてたぜ」
 このクマは。まさか本当に飲み食いのことしか考えてないんじゃないだろうな……。
「だったら僕、ビクトールさんの着替えも取ってきましょうか? また鍵かけてないんでしょ?」
「おお、頼むぜ。フリック、お前も頼んじまったらどうだ?」
 クマがおおらかに言い放つ。こいつ、また鍵かけてなかったのか! 相部屋なのに。道理でニナが忍び込めるはずだ。
「……それじゃ、頼むぜ、フッチ。悪いが戸締まりもな」
 相方の適当さに呆れつつ言うと、フッチは苦笑しながら頷いた。
「はいっ! じゃあ行ってきますね!」
「お。ブライトは俺が預かるぜ」
「あっ、じゃあ。お願いします!」
 フッチは元気に兵舎の階段を駆け上がっていった。その後姿を見送ってから、フリックは何やら楽しげに話しているクマと仔竜に向き直る。
「おい。ビクトール」
「ん、なんだ?」
「お前ホントにその竜と話してんのか?」
「見りゃわかるだろ」
 いや、わからない。全然。さっぱり。
「なんだあ? ひょっとしてお前わかんねえのか?」
「普通わからないと思うぜ……」
「なにー!?」
 大袈裟にビクトールは驚いてみせた。というか本気で気がついていなかったのだろう……さらに頭が痛い。わかるよなあ、と竜に話しかけるクマをそれ以上問いただす気力は無く、少し重い足で浴場へ向かった。

 翌日。道場ではフリックとフッチの試合が行われていた。フッチは果敢に攻撃を仕掛けていくが、そこは百戦錬磨の青雷、うまく弾かれ、紙一重でかわされてしまう。しかし一撃ごとの重さは増しているし、フリックからの反撃を的確に受け止めるあたりにも、確かな成長が感じられた。
 そうした攻防が二十合も続いただろうか。フリックの僅かな隙をフッチは鋭く突いた。しかし、それは罠。狙い通りにフリックが剣を一閃すると、槍が宙を舞った。あっ、と思わず声を上げたフッチの喉元へ剣先を向け、ぴたりと止める。
「ここまで、だな」
「……ありがとうございました! ……はあ、また負けちゃった……」
 切っ先を下げたフリックに一礼し、槍を拾いに行きながらフッチがつぶやいた。寂しそうに、少しだけ悔しそうな目で。
「ま、あまり気にするな。その歳で俺に勝てると思う方がどうかしてるんだ。また相手してやるよ」
 はい、と笑顔では言うものの、フッチの心は晴れやかでない。その後ろから、見物していたビクトールがブライトを抱えてどすどすと歩いてきた。
「おう、フッチ。腕上げたな! ……つうかフリック。お前弱くなったんじゃねえか?」
 フッチにブライトを渡しながらビクトールが茶々をいれる。フリックは仕舞いかけていた剣を再び構え、ビクトールに向けた。
「なんだって? まだガキどもには負けやしないさ」
「おうおう。熱くなるな。冗談だぜ」
 ビクトールが両手を上げてみせると、フリックも笑いながら剣を鞘に収める。
「わかってる。お前から冗談抜いたら、何が残るって言うんだ?」
「なんだと? フリック、いい度胸だ! 手合いつけてやるぜ!!」
 ガウッとビクトールが吠える。フッチが心配そうに見ているのが視界の端に見え、フリックはまた笑っていた。こういった掛け合いは日常茶飯事だ。
「何言ってんだ。リオウとシュウに呼ばれてるだろ。お前も遅れるなよ」
 そういってフリックは道場を後にした。すぐに軍議が控えているのだ。

「ま、そんなに落ち込むなや。腕が上がってるのは確かだと思うぜ?」
 フリックが去ったあと、浮かない顔をしているフッチにビクトールは声をかけた。
「……でも、解放軍にいたときから進歩してない気がするし……こんなんじゃ……わっ! あいたた……」
 いきなりビクトールに背を叩かれて、フッチは顔をしかめた。
「いいか。焦るな、フッチ。いくら他の奴らより頭一つ抜けてるっていっても、お前はまだガキなんだ。一歩一歩、強くなってけばいいさ」
 フッチの両肩に手を置いて、ゆっくりとビクトールは言った。ひとつひとつ、言い聞かせるよりは刻み込むような強さがあった。
「はいっ、ビクトールさん! あのっ……」
「ん? なんだ?」
「お手合わせ願えませんか?」
 一転してきりっとした表情でフッチはビクトールを見上げる。ばんっと肩を叩き、あまりの勢いによろめいたフッチを支えてやりながらビクトールは豪快に笑った。
「よし、その意気だぜ! しかし、相手してやりたいのは山々なんだが、軍議に遅れるとシュウの奴が煩いからな……。代わりに、ほれ」
「キュイイ!!」
「え? ブライトがどうかしたんですか?」
 フッチはいきなりブライトを手渡されてきょとんとする。
「ま、詳しくはそいつに訊いてくれや」
「キュイイイイ!!」
 きいてきいて、とブライトは翼をばたつかせる。そういえば、と疑問が浮かび、フッチは首を傾げて問うた。
「ビクトールさん。なんでブライトの言うことがわかるんですか?」
「まあな。じゃブライト、任せたぜ」
「キュイイイイン!!」
 任せろ、とでも言うようにブライトは胸を張る。半信半疑のフッチを残して、ビクトールは急いで道場を出ていった。

「で、ブライト? 何するの?」
 他の皆の邪魔になるといけないから、僕とブライトは近くの中庭に移動した。池のふちの岩に腰掛けてブライトに尋ねてみる。
「キュイイ。キュイイイイン!!」
「鬼ごっこ? あはは、無理だよブライト。すぐ捕まるに決まってるじゃないか」
「キュイイ? キュイイイ!」
 堂々とブライトは言った。やってみなきゃわからないよ、って。
 まだまともに飛べないし、いつも抱っこされてるくせに……。でも、一回くらいなら、いいかな。今日はまだ遊んであげてないし。
「よーし! それじゃあブライト、いくよ!」
「キュイッ!!」

 ブライトと鬼ごっこを始めて、一時間後…

「ちょ、ちょっとブライト待って……休憩……」
「キュイ?」
「もう? って……ブライトが素早いのは、よーくわかったから……」
 そう、予想していたよりずっとブライトは素早かった。まだそんなに飛べないはずなのに、ひらりひらりと僕の手をくぐり抜ける。やっと池のふちに追い詰めても、いざ捕まえようとするとすり抜けちゃうから、僕は池に落ちる始末。図書館からの帰りだったのか、通りかかったルックに「君は服を着て泳ぐ趣味でもあるの?」って呆れられたし。
「キュイイ! キュイイイイ」
 動きを読むんだよ、って、簡単に言うけど、全然簡単じゃないんだから……。
 すっかり息の上がった僕の目の前まで来て、ブライトがまっすぐにこっちを見ていた。綺麗な蒼い目。体は小さいのに、強い力が満ちているようで……すごいな。うん、僕も負けていられないや。
「……そうだね! じゃあもう一回!」

 結局、あの後もまた池に落ちた。ずぶ濡れになって部屋に帰ると、ハンフリーさんは驚いていた。でも僕が事情を話すと、深く頷いてこう言った。
「……フッチ。その訓練で、大事なことを思い出すはずだ……」
「は、はい」
 よくわからなかったけど、僕は返事をして、頭の中にその言葉を刻み込んだ。
 ハンフリーさんの言葉はなんだか意味深で、すぐには意味がわからないことばかり。だけどそういう言葉ほど、いつも後になってから、大事なことだってわかるんだ。だからきちんと覚えておかなくちゃ。
 ハンフリーさんは、ぶっきらぼうにタオルと着替えを差し出してくれた。
「……風呂に入ってこい。風邪をひくぞ」

 次の日から、僕とブライトの猛特訓が始まった。と言っても、ブライトは新しい遊びだと思ってるみたいだけど。
 竜の子がこんなに素早いなんて知らなかった。どう考えてもサスケ以上。これは本人に言ったら怒るだろうから言わない。

 そうして、暇さえあればブライトと鬼ごっこをして……結果は僕の全敗だけど……とにかく一週間が経った。

「よろしくお願いします!」
 昼の道場。礼をして、槍を構える。今日の相手はフリックさんだ。
「ああ、かかってこい!」
 隙のない構え。積極的に攻撃して、懐に入れって教わってたから、まずは攻めることだけを考えてた。突き、払い、相手が反撃してくるときのわずかな隙を狙って槍を繰り出す。
 ……あれ? フリックさんの動きが少しゆっくりに見えるのは気のせいかな? 結構、僕の技が決まってるみたい。
「お! フッチ、なかなかやるじゃねえか!」
「キュイイ! キュイイイイン!!」
 後ろでビクトールさんとブライトが応援してくれてる。嬉しいけど、それも耳に入らなくなるまで目の前の相手に集中してゆく。
 す、とフリックさんが剣を引いた。
 これはわざと……隙をつくって、誘ってるんだ……その手にはもう乗らない!
 罠と逆の方向に攻撃を仕掛ける。慌ててフリックさんが防御した。
 反撃が来る……! 畳み掛けようとした槍を一瞬で引き戻す。不思議なことに、相手の太刀筋が見えた気がした。軽いステップでかわし、鋭く踏み込む。
「はあっ!!!」
 空いた喉元に穂先を突きつけた。場の空気が固まったみたいに、しん、と音が消えた気がした。
「……まいった」
 がらん、と重い音が響く。剣が床に落ちていた。
 か、勝った……? はっと我に帰って、慌てて槍を下げ、一礼した。
「あっ、ありがとうございましたっ!」
「どうしたんだフッチ。急に腕があがったな……」
「はい! ちょっと、ブライトと特訓したから」
「キュイイイイン!!」
「おお! 強くなったな、フッチ!」
 ビクトールさんと、その肩に乗ってブライトが駆け寄ってきた。手加減してもらってるとは言え、まさか勝てるなんて思ってもみなかった。ブライトを受け取って、僕はふわふわした心地だった。
「おうおうフリック、お前もトシか? そろそろ隠居したほうがいいんじゃねえか?」
 にやにやと笑いながらビクトールさんが言う。ばつが悪そうな顔をしながらもフリックさんは言い返した。
「それを言うなら、お前もだろ」
「なんだとう? そんなら、いっちょ手合わせしてみっかあ!」
「いいだろう、来い!!」
 それからフリックさんとビクトールさんは試合を始めてしまった。剣戟の音を背中で聞きながら、僕は道場の入り口のほうに移動していった。
「キュイイイイイイン! キュイイ!!」
 小さな手と翼を動かして、ブライトがおめでとうと言ってくれている。きゅっと抱きしめて、僕は頬擦りをした。
「ありがとう、ブライト。きみのおかげだよ!」
 その時だった。気付いたんだ、ハンフリーさんの言葉の意味に。
 確かに僕はブラックにいろんなことを教わったし、ブライトには僕が教えてあげることばかりだと思ってた。けど、ちゃんと教わることだってあるんだ。まだ小さいけれど、きっとブライトも竜なんだから。
「……フッチ。思い出したようだな」
 知らないうちにハンフリーさんが目の前に立っていた。僕は大きく頷く。
「はい。竜騎士と竜は共に歩むものだって、ヨシュア様がいつも言ってました。ブライトからも、たくさん教わることがありそうです」
 ハンフリーさんは黙って、優しい顔で頭を撫でてくれた。

 道場を出ると、日が傾き始めていた。なんだか、どっと疲れが押し寄せてくる。
「キュイイイイ!!」
 特訓、やろう! 今にも腕から飛び出しそうな勢いで、そうブライトは言った。えっ、と思わず声が出ていた。
「きょ、今日は勘弁してよ。ブライト……」
「キュイイィィ……」
 残念そうに、ブライトはパタパタさせていた翼を畳んだ。
「でも、今日はレストランで好きなもの食べさせてあげる」
「キュイイイイイイン!!」
 沈んだと思ったら、今度はとっても嬉しそうに鳴く。人間よりずっと豊かに感情を表す仔竜。僕もつられて笑顔になった。

 これから君は、どんなことを教えてくれるんだろう。僕はもう一度、小さな白い体をぎゅっと抱きしめた。

 

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@yasuhitoakitaさんと共作。

​2011/07/03

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