top of page

恋々と

​#+C #黒×リンナ #雛鷹軸

 唐突に、聖堂の重苦しい空気を硝子の割れるような大音響が引き裂いた。
「な……なんの音だ……!?」
「赤、黒」
 男に呼ばれるより早く、赤が駆け寄り、階上から音もなく黒が降り立った。リンナの注意がそちらに逸れる、その刹那、手刀が鋭く叩き込まれた。狼狽える使者、「アモンテール」と叫ぶ女の声……リンナの視界はそこで途切れる。
「黒、オルハルディ殿を。赤は私と来い」
「はい、先生」

 


 目を覚ますと、視界に入ったのは見覚えのない天井だった。
 何やら少し騒がしい。リンナは混乱する頭で記憶を整理する。部屋を抜け出し、捕虜を解放しようとして、キリコの部下……鴉に捕まり、縛られ……今、ベッドに寝かされている。体を起こそうとして、両手が拘束されていることに気付いた。
「オルハルディさん……?」
 部屋の隅から聞き慣れた声と隠さない足音が近寄ってくる。
「気が付いたんだ。早かったね」
 ひょいと覗き込むのは予想通り、『黒』と呼ばれる黒髪の少年。その目がふっと不安げな色を宿す。
「怒っているの……?」
「……いや」
 黒の目に映った自分が険しい顔をしていることに気付き、リンナは自嘲気味に笑った。
「怒りたいのはそちらだろう」
「そうかな……怒ってはいないよ、赤も、先生も」
 ベッドの縁に腰かけ、黒は静かな笑みをリンナに向けた。
「ねえ、どうして?」
 問いかけにリンナは唇を噛んだ。皆まで言われずとも、黒が何を問うたのかはわかる。
「あなたは、わかっているはずだ。今、何しても無駄だってこと」
 ひどく優しい声と、目で。黒は悲しげに微笑んで、リンナの頬を一度撫でる。
「……あなたがあなたでいられるうちに、決めてくれないか」
 ほんの少し意地悪く、懐から取り出した小瓶をちらつかせて黒が笑う。感情をあまり表に出さない、という第一印象を裏切る豊かな表情の変化を、近頃の黒はリンナに見せていた。
 リンナは押し黙ったまま。しかしその目は、屈することはないと宣言してでもいるようだ。黒は右手の親指でその唇をなぞり、口内に押し入った。驚いたリンナが硬直したのをいいことに、舌先をくすぐるように弄ぶ。
「……ッ!」
「ああ……」
 嘆息し、黒は指を止めた。白い歯が、根元まで入り込んだ親指に食い込んでいた。
「……あなたは優しいな」
 ──甘い、とも言えるか。敵の指一本。躊躇いなく噛みちぎることもしない。
 苦しげに黒の表情が歪んでゆく。噛まれた指をそのままに黒はリンナの下顎を掴むと、力づくで下げ開いた。
「っ、ぐ……ッ!?」
「顎が外れるよ」
 冷たい目だった。まるで温度のない、暗殺者の目に戻っていた。
 じゃら、と鎖が音を立てる。リンナの両手を寝台の柱に繋ぐ鎖だ。幾ら手を伸ばそうとしても、鎖は短い。抵抗しようにも黒の手には届かない。
 無駄なことを。憐れにさえ黒は思った。
「オルハルディさん」
 ちらりとリンナの表情に掠めた恐怖を捉え、黒の手に篭った力が緩む。
「俺は気が短い方じゃない……でも、あの使者殿は違うみたいだ」
 空いた手に持った小瓶を、リンナの目に入るように掲げてみせる。瞳に走ったのは恐れより迷いだった。
「あなたがどうなろうと、あいつは構わない。……ベルカ王子と取り引きができれば、キリコ様の命を一応果たした事になる……」
 キリコの目的は、ベルカのもとへリンナを送り届ける事ではもちろんない。大病禍、この病の治療法の入手と、国中に広がりつつある混乱の収束。そのためにベルカが必要なだけなのだ。リンナはベルカと交渉するための道具にすぎない。
「……俺たちは」
 すい、と身体を寄せて、黒が囁く。耳に吐息が触れる。ぞわりと奥底が波立つのをリンナはどうにか抑えこんだ。
「俺たちは、あなたを殺したいなんて思ってない。あなたには生きていてもらわなければならない……あなたには、あなたのままで……」

 『使者殿』は地下水路でのベルカを知らない。
 あのときベルカは、アモンテールごときを逃がすために自分の身を盾にしたのだ。そこに『極力自分の意思を持たぬよう育てられた第三王子』の姿はどこにもなかった。
 愚かしくも強かな目をしたベルカが、人形などに騙されるとは到底思えない。それが鴉の見解だ。

「さあ、あなたは……どうするんだ?」
 ちゅ、と小さく音を立てて指が離れてゆく。リンナは一度深呼吸し、真っ直ぐに黒の瞳を見据えた。
「……おまえは……どうしたいんだ」
 今度は黒が驚いたように目を見開く。柔らかな光が瞳に宿った。
「俺……? そうだね……俺は、俺個人としては……」
 ふ、と黒は笑った。それから目を伏せ、小瓶をサイドボードの抽斗に仕舞う。驚くリンナの上に圧し掛かり、首に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。
「……何だっていい」
 黒が甘えるように頬を摺り寄せる。はあ、と吐き出された息が熱い。
「俺はあなたが……こうやって、いてくれさえすれば……」
 甘え、縋るような声を黒は上げていた。一方のリンナは内心、舌打ちする。こうなると突き放せないのだ。予想できたはずの事態を回避できなかったことと、「優しい」どころか恐ろしく甘い自分を悔いる。
 黒は幼子だ。おそらく初めて手にした温もりに依存してしまう幼子。確かに哀れだが、絆されてやる訳にはいかない。そう自分に言い聞かせても、己を保つことがリンナには精一杯だった。口でいくら言っても黒が聞かないことは、散々身を持って経験している。その上、今は身体の自由を奪われ、突き飛ばすことも出来ない。
「……好き……」
 リンナが思考を巡らせるうちに、黒はリンナの着衣を少しずつ乱していた。上着をはだけ、傷跡の残る肌を露わにする。
「本当に……どうしようもなく好きだ……」
 厚い胸板に指を滑らせ、耳朶に軽く歯を当てる。びくりと身を震わせたリンナに黒は切なげに微笑む。
「オルハルディさん、俺はもう、あなたがいないと」

 ──『俺、もう、おまえがいないと……』

「やめてくれ」
 強く首を横に振る。重なった囁きを、幻像を振り払う。何度も似ていないと否定するのに、些細なきっかけでリンナの頭はすぐ想い人を呼び起こしてしまう。
「黒、やめろ」
「嫌だ。止まらない」
「黒……ッ!」
 黒が素早く唇を押し付け、リンナの口を塞ぐ。刹那の隙に下肢を押さえつけ、顎を強く掴んでリンナの抵抗を封じている。ぎしりと骨が軋む音まで聞こえるようだ。
「や、め……ルツ……っ!!」
「いいね……もっと呼んで……」
「っ……やめ、っん…!」
「ん……っ嫌だね……好きなんだ……好きだから、俺は……」
 ひとつひとつ、ぽつり、ぽつりと。熱に浮かされたように、黒はひたすらリンナの唇を貪った。
「好き……いや、多分……愛してる…」

 ――『多分……愛してるんだ。おまえのこと』

 リンナの目が見開かれる。驚愕、戦慄してさえいた。
「俺、あなたのこと……」
「やめろ、それ以上言うな!!」
 黒は笑った。暗く、悲しい目。歓喜の形に歪む唇。それはまるで、悪戯をしかける幼子のように。耳を塞げないリンナを嘲笑うように。真摯に宣誓するように。真実は黒本人しか知り得ない。

「オルハルディさん、あなたを愛してる」
 

 

------------------------

雛鷹前提でOp.36から分岐。

​2011/08/20

 ​前のページに戻る

bottom of page