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​少しばかり欠けた月の夜

​#+C #天狼×十六夜 #薬師設定

「はい、もういいよ」
 腕に包帯を巻き終え、解けないようややきつめに結んで年若い薬師が微笑む。おとなしく治療を受けていた少年もようやく安堵して顔をほころばせた。
「ありがとー、十六夜せんせー!」
 そう言って少年は勢いよく立ち上がり、今か今かと待ち構えていた仲間たちと共に部屋を飛び出してゆく。もうすぐ夕刻になるというのに、また遊びに行ってしまうのだろう。帰ってきたら包帯を巻き直してやらないと。十六夜は苦笑した。
 動ける子供を縛り付けるのは難しい。特に十を過ぎたあたりの子供は皆、自分はもう分別を身につけたと思い込むくせに無茶をしたがり、それをさながら冒険譚のように語るのを楽しみのひとつとしている。そういう無茶に夢中になれる時期が残りが少ないことに気付く年頃なのだろうか。森の奥まで入り込んでみたり、或いは子供だけで隣の集落まで行ってみたり、それまで大人たちによって遠ざけてられてきた危険に自ら飛び込みたがる。その結果として怪我を負っても、戒めより勲章になってしまう方が多い。
 怪我が未熟の証に変わるのはいつからだろう。傷を包帯が隠したとき、それまで漂わせていた不安が消えて誇らしげに胸を張る子供が、いつからか不安が和らぐと同時にバツが悪そうな笑顔を見せるようになる。十六夜はこの変化を何度も見ているが、ここにある境目は大人と子供の境目とは少し違うような気がしていた――前者の大半が子供であることは確かだったが。改まって考えてみるとなんだか可笑しかった。

 囲炉裏で枝が弾け、十六夜は西日に染まった部屋の隅から聞こえる押し殺した笑い声に気付いた。
「何?」
 大甕から木の椀に水を汲み、薬草の汁が付いた指を洗いながら十六夜が尋ねる。天狼が大枝から突き出した小枝を折る作業の途中で手を止めたまま、背中を丸めて肩を震わせていた。
「い……十六夜せんせーだって!」
 口を開いてしまったせいか、天狼はけらけらと派手に笑い出し、仕舞いには枝で床を叩きだした。先細りの枝は良くしなり、ぴしぴしと鞭で叩いたような音が鳴った。
「天狼、危ない」
「おまえ先生ってガラじゃねーだろ!」
「知ってるよ」
 なんでもないことのような受け答えだったが、十六夜は少し恥ずかしそうに目線を自分の指先に戻した。
「まだまだ師匠みたいに立派な先生じゃない」
「あんな嬉しそうにニマニマしといて?」
「そんな顔してないよ!」
「してましたー」
 笑い声がひゃっひゃっと耳障りなものに変わっていた。今は耳までほんのり赤くなった十六夜が、せめてもの仕返しにと濡れた指先の水滴を飛ばす。
「うわ、ガキじゃねんだから! ……あ、切れてる」
「はあ?」
 天狼が手を掲げてみせると、確かに指に細い赤色が見えた。先程の枝で引っ掻きでもしたのだろう。十六夜は呆れて思わず溜息をついた。
「君はもう少し新月を見習ってもいいんじゃないかな」
「俺にはつめてーじゃん、十六夜先生」
 天狼は精一杯込められた嫌味をさらりと流し、直後に不思議そうな顔をした。
「十六夜、姉ちゃんのこと嫌いじゃねーの?」
 水を汲み直した椀を天狼に渡して傷口を洗うよう指示し、軟膏の容器を持って彼の向かいに屈んだ十六夜も不思議そうに首を傾げた。
「嫌いだなんて、そんなことないよ。立派な姉さんじゃないか」
 それは本心だった。確かに意見は食い違うことが多いが、十六夜は柔らかに微笑んでいた。ふうん、と何やら意味ありげに天狼は頷いたかと思うと、からかうような軽い雰囲気で口を開く。
「でも俺がまるっきりあんな風になったら嫌だろ?」
「ああ、それは絶対嫌」
 これには二人して笑った。天狼は薬箱から清潔な布を取り出して傷口を拭い、十六夜がその上からべたつく軟膏を少量塗り込んでゆく。
「なんだかんだで似てるよな」
「何が?」
「十六夜と新月」
「どこが?」
 十六夜は肯定的に尋ねた。新月と彼はほとんど正反対だと彼自身思っていた。だから、そのどちらとも近い距離にいる天狼が、二人を似ていると思う理由に興味を持ったのだ。
「二人とも頑固だしさー、いっつもぶつかってばっかじゃん。でも相手のことちゃんと認めてはいるんだよな」
「新月は僕を認めてはいないよ」
「んー、そんなことねーよ? 平和主義に拘りすぎるのが気に入らないだけだって」
 天狼はあからさまにそうとは言わなかったが、これは新月自身が零したことでもあった。十六夜自身は悪い奴ではないのだが、如何せん頭が固すぎる、と。そのとき天狼は、頭の固さじゃいい勝負だと笑い飛ばしたのだが。
「平和主義か……」
 つい先ほど天狼が傷を拭ったのと同じ布で指に付いた軟膏を拭い、複雑な顔で十六夜は呟いた。
「僕は……今のこの暮らしも大事にしたいんだ」
 自分の隣に十六夜を座らせ、続きを促すように天狼が首を傾げる。十六夜は微笑み、口を開く。
「僕みたいなズレた奴でも、受け入れてくれる人がいる。一人の薬師としての居場所をくれたし、まだ未熟者の僕を頼ってくれる人がいる。仲間として認めてくれてる。それが、すごく幸せなんだ」
 部屋は随分と暗くなっていた。勝手知ったる、とばかりに天狼が蝋燭を持ち出し、囲炉裏に刺してあった小枝に火を移し、芯に灯す。ぽうっと橙色の光が揺れだした。
「それで?」
「それが戦禍に呑まれて消えてしまうのが嫌なだけだよ」
「……そっか。そうだよなあ」
 大袈裟に頷きながら天狼は十六夜の肩を抱いた。理解したのかしていないのかあいまいな反応だが、十六夜にとってはそれでよかった。天狼はわかっている。勿論彼は十六夜ではないからすべてを理解できるはずもないが、それでも最大限わかっている。幼いころから天狼はそうだった。
 あたたかい、と十六夜は思った。暦の上での秋はとうに始まっていたが集落の景色はまだ夏のままで、いかにも秋らしい、涼しげな空気が流れ出したのも最近だった。数日前までは暑苦しかった他人の温度が、今は心地よかった。勿論それだけが理由ではない。彼はこのあたたかさも失いたくなかった。
「お、月が綺麗だぜ」
 ふと顔を上げた天狼が何気なく言ったその一言に十六夜は吹き出してしまった。なんと紛らわしい言葉だろうか。夜景を表すありふれた言葉だが、一方でなかなか古典的な愛の告白でもある。訝しむ天狼になんでもないと言い訳をし、十六夜も視線を上げた。
 窓枠の外には確かに丸い月が顔を見せていた。今宵は何か特別なのか、星々の光など掻き消そうかというほどに眩く輝いていた。しかし満月は昨夜だったはず、と十六夜は思う。つまり、この日の月は奇しくも十六夜の月だったのだ。

 

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てんいざへの3つの恋のお題:濡れた指先/大事にしたいんだ/ありふれた言葉だけど (http://shindanmaker.com/125562

​2011/09/14

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