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​アラート

​#零の軌跡 #ロイド×ヨナ

 20時28分。ヨナが端末から夕飯を注文したちょうどそのとき、彼の住処を訪ねた者がいた。
「ヨナ、差し入れだ」
「はあ?」
 ジオフロントB区画の奥、第8端末制御室。一般的な夕飯には少し遅い時間だったが、不規則な生活を送るヨナはそろそろ空腹になる時間だった。
 招かれざる客――客というには身内のような気楽さがあったが――ロイドはオーバルストア《ゲンテン》の紙袋から青いタッパーを取り出して見せた。
「うちの夕飯のお裾分け」
「いらねえよ。もう頼んだし」
「ピザだけじゃ栄養が偏るだろ」
「アンタは母親か!」
 鋭いツッコミの直後、端末から短いメロディが鳴った。導力メールの受信音だ。ヨナは小さく軋む椅子を回転させ、巨大なディスプレイに向かった。
「これでも仕事中なんだぜ。邪魔しないでくれよな」
 言い捨て、カタカタとキーを叩き始める。これ以上は相手にしないという無言の主張だ。ロイドは肩を竦めて出口へ向かった。途中、ピザの空き箱が乗ったテーブルに紙袋を残して行くのを忘れずに。
「おい、持って帰れよ!! 食べないからな!?」
 目敏く気付かれたことにか、ロイドは苦笑した。
「気が向いたらでいいよ。明日も来るからさ」
 ふざけんな、と言い終わる前に重い扉が閉まる。ヨナは煩わしそうに紙袋を一瞥したが、椅子を立つことなく仕事を再開した。
「ったく、勝手なことしやがって……」

「おかえりなさい、ロイドさん」
「ああ、ただいま」
 ロイドが雑居ビルに戻ると、一階にいたのは端末に向かっているティオとその側で眠るツァイトだけだった。ティオは振り向き、来客用のソファに沈むように腰を下ろしたロイドへ声をかけた。
「その様子だと、芳しい反応は得られなかったようですね」
「うん……」
 ロイドの意気消沈ぶりから、やはり跳ね除けられたなとティオはひとり頷いた。ロイドがヨナのところへ行ったことは夕食の席にいた皆が知っている。行った先で、遠慮ではなく本当にいらないから帰れとでも言われたのだろう。親切心は大いに結構だが、お地蔵様に供えるのとヨナを餌付けするのとは訳が違う。知り合って間もない相手、しかもティオの仲間からの差し入れをヨナが相手にしないことは、ティオにとっては火を見るより明らかだった。
「当然です。あれは私よりずっとワガママですから。一度や二度で折れるはずがありません」
 やめろとも無理だともティオは言わなかった。それどころか、意地悪くわざと希望を持たせる言い方を選んでいる。あの生意気なヨナがロイドに屈するとすればそれはさぞ見物に違いないし、ロイドならそれができる気がした。少女のそんな思惑はつゆ知らず、顔を上げたロイドの目は元通り強い光を湛えていた。
「そうか……そうだよな。……よし!」
 微笑んでティオは端末に向き直った。ツァイトが大きな欠伸をする。端末が画面の端に示す時刻は21時ちょうどだった。

 翌日、ヨナの部屋。20時27分。ロイドは宣言通り、昨日とほぼ同じ時刻にそこを訪れた。
「ヨナ?」
「……またアンタかよ」
 扉の覗き窓が開いていた。ヨナの盛大な溜息も聞こえてくる。
「入るぞ」
「はいはい、どーぞ」
 短い付き合いだが、ヨナに冷遇されることにロイドはもう慣れてしまっていた。ヨナは相変わらず端末で何か作業をしている。おそらくは仕事でもある、導力ネットからの情報収集。背中がやけに小さく見える。部屋自体そう広いわけでもないが、この空間はやけに圧迫感があった。
 ヨナが振り向く様子がないので、息苦しさの原因は、とロイドは室内を見回した。向かいの壁を覆うのは大きな七枚のディスプレイ。特に大きなものは、支援課にあるものの倍はありそうだ。壁際にはロイドの背丈ほどもある箱型の機械が並んでいる。膨大な処理を高速でこなす計算機だと説明は受けたが門外漢には全くもって意味不明であることに変わりない。流れるのは底抜けに明るく、騒がしいポップミュージック。ディスプレイはチラチラ、チカチカと瞬き続ける。一日中ここにいてよく頭がおかしくならないものだとロイドは思う。
 手前のテーブルには新しいピザの箱と、紙袋からは出してあるが恐らく手つかずの青いタッパーがあった。
「食べてくれなかったのか」
 ティオの言った通りだな、とロイドは苦笑した。ヨナは振り向かないまま少し後ろめたそうな顔になり、ディスプレイに映る相手に視線を遣った。
「……食べないって言ったろ。どうすんだよそれ。食材無駄にしちまってさ」
「うん……釣り餌にでもしようかな」
 もったいないし、と精一杯事もなげにロイドは言った。ただ、上手くやりすぎた。それを聞いたヨナの顔に罪悪感とは別の影が走り、さっと朱に染まる。
 自分は何を心配し、申し訳なく思ったのだろう。捨てる以外の方法があると昨晩の時点で気付いていれば、食べようかなどと迷う必要すらなかったのだ。食べ物につられて絆されかかるなんて只の馬鹿じゃないか。
「……じゃあ最初からそうすればいいだろっ!」
「何拗ねてるんだ」
「拗ねてねえし!!」
 最後の一言だけ言うために振り返ると、ヨナはすぐ端末に向き直ってキーを叩き始めた。
「ったく! ヨナ様は忙しいんだ。用がないならさっさと帰れ」
 ガチャガチャと乱暴なタイピングからヨナの機嫌を察するのは、鈍いと方々から評判のロイドにも難しくなかった。どうしたものかな、とロイドはまた苦笑する。放っておけばいいと彼の仲間たちなら言うだろうが、どうにもそうする気にはなれない。少し迷ってからロイドはヨナのすぐ側まで歩いてゆき、下段ディスプレイの一枚を覗き込んだ。
「これ、意味わかるのか?」
 指差した先は黒い背景に白い字が整然と並ぶ画面だった。少し知識のあるものが見れば書きかけのプログラムコードであることがわかるのだが、もちろんロイドにそれがわかるはずもない。
「な、なんだよ」
「いや……ヨナ、本当にすごいんだな。これが読めるんだろ?」
「あ……当ったり前だろ、ボクを誰だと思ってんだよ。この天才ヨナ様にかかればこんなもん朝飯前……っていうか見るな! 機密情報ばっかなんだぞ!」
 声を荒らげてヨナはロイドを追い出そうと振り向き、ビクリと固まった。ロイドは全く意味が分からないという顔でディスプレイを見つめている。それがまさしくヨナの目と鼻の先、手を伸ばすまでもなく触れられそうだったのだ。
 ヨナの正面のディスプレイでは文字列が猛スピードで流れ、上段では画面全体を覆うほど数多の小さなウィンドウが、泡が弾けるように次々閉じてゆく。最後に現れたウィンドウはメッセージボックスだ。[ダウンロード完了]。
「……早いとこ、ちゃんとした対策を取ってもらえるようにしないとな」
「ああもう早く帰れって! ボクの仕事場を荒らすな!」
「はいはい、じゃあこれ」
 ヨナの丸っこい手に半ば押し付けるようにタッパーを持たせると、ヨナは案の定、呆れ顔でロイドを睨みつけた。
「また持ってきたのかよ? 無駄だぜ、食わねーからな」
「はいはい」
「なんなんだよその余裕はぁ!」
 本当に叩き出されかねない雰囲気を察し、ロイドはそれ以上長居はしなかった。残されたのは色をなすヨナと、野菜炒めが詰められたタッパーだけだ。容赦ない視線をぶつけてもタッパーは何も言わない。憎々しげに鼻を鳴らし、ヨナはタッパーを放り投げた。無事ソファに落ちるかすかな音がした。
 あんなもん食うくらいなら冷めたピザの方がよっぽどマシだぜ。ヨナは独りごちて平らな箱を引き寄せた。

 同じような調子で数日が過ぎ、ある日の20時30分、ロイドがヨナの部屋を訪れると偶々ヨナは扉に近いテーブルで食事中だった。
「……アンタ、バカだろ」
 タッパーを受け取るなりヨナはびしりと言い放った。生意気小僧から突然のバカ呼ばわりにロイドの堪忍袋の緒がピシリと軋んだが、そこは年長者の余裕でどうにか流し、ヨナの向かいに座る。
「いきなりだな」
「だって全然学習してないじゃん。何持って来ても食べないって言ってんのに」
 見慣れた青いタッパーをテーブルの端に除け、ヨナは半分に減った熱々のピザを一切れ手に取った。薄い生地にトマトソースを塗り、肉とチーズを載せ、申し訳程度に緑を添えたスタンダードなピザだ。端から齧り、最後に生地の耳を押し込み、ヨナは咀嚼しながら言った。
「あのさぁ、なんでそんなにボクに構うんだよ。ほっとけばいいだろ?」
「そうなんだけど……意地、かな」
「はあ?」
 指についたトマトソースを舐めながらヨナは心底面倒くさそうな顔をした。
「最初はほとんど思いつきだったんだけど、そっちがなかなか頑固だから、こっちもつい……というか」
「なんだよそれ……」
 呆れるヨナを尻目に、ロイドもピザを手にして一口齧った。
「うーん……」
「あ! 勝手に食うな!」
「悪い。でもこれだって、ランディが焼いたやつの方がうまいと思うけどな」
「んなこと聞いてねえし。おまえはボクにうまいもん食わせたいわけ?」
「そういうわけでもないけど……」
 違うのかよ、とヨナが心中で突っ込む。ロイドは少しの間考え込み、思考を巡らせた。そうして探り当てたのはぼんやりした結論だったが、それが答えなのだから仕方ないだろう。ロイドはおもむろに口を開いた。
「なんていうかさ……ほっとけない感じがするんだよな」
 ロイドは微笑んでいた。真正面から受けてしまったヨナの顔が──顔どころでなく首から耳まで、引きこもりらしく生白い肌が一瞬にして真っ赤に染まった。
 何嬉しくなってるんだ。相手は警察だぞ。こんな所に籠って一日中ハッキングしてピザしか食ってないんだから、そりゃ保安上の理由とかでほっとけないに決まってるだろ。そう自分で否定するのだが、嬉しいやら恥ずかしいやら、ヨナはすっかり動揺しきっている。
 エプスタイン財団を出奔する前、悪戯好きのヨナは、良くない意味で目が離せないとは言われてきた。ヨナもエリートの一員だ。幼少時から財団の英才教育プログラムを受けて育っている。だがそのような場は得てして冷たいもので、ヨナが打算のない好意を向けられたのは、本人が気付かなかったものを除けば今が初めてだった。優しさ、温かみ、さらには包容力。初めて与えられたそれらをどう扱っていいのか、ひねくれたヨナの心には知識も経験もなく、戸惑うばかりだった。
 自分で自分に納得して何度も頷きつつロイドがピザの残りを飲み込むと、ヨナが真っ赤な顔で口をぱくぱくさせている。ロイドは途端に訝しむ顔になった。
「……ヨナ? 怒ったのか?」
 ハッと我に返り、気遣わしげな視線にまた顔が熱くなって、椅子を蹴り倒さんばかりに勢いよくヨナは立ち上がった。
「うるせーさっさと帰れ! 二度と来んな!」
 つられて立ち上がっていたロイドを部屋から押し出す。八つ当たりと相違ない乱雑さだった。通路に追い出されたロイドが振り返るとヨナは慌てて扉を閉めてしまった。
「ヨナっ……」
「いいかっ、ランディとやらのピザ持って来るまで入れてやんねーからなっ!」
 開けっ放しの覗き窓からこんな捨て台詞が投げつけられた。ロイドは肩を竦め、地上への近道として使っている通気ダクトに入ってゆく。その表情は前日までと違い、どこか吹っ切れたようでもあり、面白そうに緩んでもいた。
 扉に背を預けて座り込んだヨナは、遠ざかる足音に長い安堵の溜息を吐いた。全く、心臓に悪い。ふと視線が向いた先に、青いタッパーが低めのテーブルに鎮座していた。

 

 

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アラート

​2011/09/29

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