Irrtum
#空の軌跡 #アガット×ヨシュア #R18
ヨシュアがくすんだ緑のバンダナをするりと解く。細い指先で蒼灰の目にかかる赤い髪を優しく掻き上げ、ベッドの縁に腰掛けている相手の膝にゆっくりと跨った。
「好きです、アガットさん……」
視線が絡み、琥珀が艶めく。悪戯っぽく微笑む、あどけない中に蠱惑を宿した不思議な瞳。映りこむ赤色よりずっと奥に、小さく揺れる炎があった。
夜更けに音もなくヨシュアはホテルの一室を訪れ、アガットはこの少年を部屋に入れた。初めてではない。昼間に交わす約束の通りに。もう目的を偽る必要もない。
ヨシュアは手を伸ばし、サイドテーブルに据えられた導力灯のスイッチを切った。視界が利かなくなるのはほんの一瞬だ。街灯の白い光がカーテン越しに入り込む。
指先でアガットの頬に触れ、ヨシュアはそっと長い睫毛を伏せた。
好き。この原始的な感情を示す単純な言葉に、アガットは忌々しさすら感じていた。
ヨシュアからアガットに向けて発せられるそれは、仲間同士の信頼や好感とは少し違った。かと言って恋い慕う故の言葉でもなく、それが示すのは押し殺された欲火だった。
貴方に触れたい。触れてほしい。初めにヨシュア自ら言った通り、意味するのは大体こうした欲求――言ってしまえば性欲だ。しかし、それが何故好きという言葉になり、女性ではなく男性に、特別親切でもないアガット・クロスナーという男に向けられるのかアガットは知らない。
ヨシュアは一目惚れだと言った。だから余計に忌々しいのだ。
恋慕と欲情は違う。分かっているはずなのに混同している。思ってもいないことを如何にもそれらしく言われるのは不愉快だった。拒むのも受け流すのも簡単だったはずだ。しかし、このズレの中に垣間見える不安定さを放っておけるほど、仲間に対して彼は非情になれなかった。
一方でこうも思う。本当は求められることを求めているんじゃないのか。この虚ろを埋めるために、憤怒、憎悪、絶望、何もかも引きずってきたくせに、今更慰めを求めているのだとしたら。自ら抉り続けた古傷を塞ぐ何かをこの少年に求めているのだとしたら。
反吐が出る。《重剣》の名を持っていながら、自分の妄執ひとつ断ち切れないとは。
齢十六の少年が背負わされた、封じられた過去をアガットは知り得ない。
昏い光。灼かれるほど熱い。
夜中、街灯に寄せられ踊る羽虫と同じだ。闇の中にひとつ、鈍く輝く炎。その光と熱に惹かれ、ふらりと冷たい手を伸ばした。
触れたかった。太陽には届かなくとも、焔を抱くことなら出来たから。
太陽は問答無用で全てを照らす。暖かく包み、闇を消して影を炙り出す。彼女は希望であるがゆえに、ひどく眩しかった。けれど彼の光は炎に似て、熱く、そして暗い。影を闇に融かしてくれる。煉獄ほどではないにせよ、その意味では太陽よりずっと優しかった。
彼女を想い彼に焦がれるのか、彼に焦がれて彼女を想うのか。もうわからなくなってしまった。彼女を守りたいと希う、その傍らで求めるのは彼女ではないのだ。
好きなんて言葉では足りない。もっと苦く、激しいもの。
しかし愛と呼べるものでもない。欲望を剥き出しにして醜く縋る、この姿のどこが。ヨシュアは自嘲に唇を歪ませる。いいんだ。それでも。
甘ったるい空虚さは否めないが、何一つ嘘はない。心まで欲しいとは思わない。触れ合えるだけの距離さえあれば充たされていると思えたのだ。
「小僧。そこで寝るな」
ぶっきらぼうな声に、ヨシュアは瞼を開いて鋭い双眸を見つめる。見つめ返した、と言うべきか。アガットはずっとヨシュアから目を逸らしていなかった。ヨシュアは微笑み、アガットの頬に残る傷痕をなぞった。
「キス、してもいいですか?」
「……いちいち訊くな」
照れたのか視線を外し、アガットはヨシュアの細い手首を掴んで自分の頬から指を遠ざける。くす、とヨシュアは小さく笑った。
「素直じゃないですよね」
「言ってろ」
呆れ声で目を閉じたアガットの唇に、ヨシュアのそれが吸い寄せられてゆく。少しかさついた感触だった。ふわりと触れ、戯れに食む。恋人同士が交わすそれのように甘やかなくちづけを、目眩ましのように繰り返す。
「ん……ふふっ……」
アガットの首に絡む腕は白く、年頃の少年とは思えぬほど細い。力でねじ伏せるのではなく、翻弄し足元を掬う。
「好きです……」
零すように呟き、相手が何かを言う前にその唇を覆ってしまう。小狡いその場しのぎだが、文字通り相手の口を塞ぐことはできる。
飲み込まされた声がアガットの胸中で靄に変わってゆく。視界を覆うような。息が詰まるような。それをまた飲み込むのも造作ないことではあったが。
こんなにも生々しいのに、実感はまるでなかった。いくら身体を重ね、触れても、心は掠め、すれ違う。結ばれようなどとは初めから思っていない。彼らは限りなく陶酔境に近く、しかし間違いなく醒めてもいた。共有する熱に溺れようとも忘れようともしないまま、この愚かさは二人ともよく分かっていた。
だからこそ、かもしれない。
ヨシュアはアガットに縋りつき、頬や首にも唇で触れている。ねだるような仕草にひとつ溜息を吐き、アガットは暗色の服の裾から手を滑り込ませ、滑らかな肌を背骨に沿ってゆるりと撫で上げた。
「ん……あ……ッ」
指先の後を追って、ぞくり、ぞくりと痺れる。琥珀の眼も今は蜂蜜のようにとろけていた。
腰をなぞり、脇腹を撫で、腹の上を這って胸元まで。擽ったそうにヨシュアが身を捩る。僅かに目を細めるアガットの動作は緩慢で、当初のヨシュアの予想からは随分外れた、少々よそよそしいが丁寧な愛撫だった。
ヨシュアがたくし上げられた服を脱ぎ捨てるとアガットは乱れた漆黒の髪に触れ、そのまま指で梳いて整える。どうせ後で乱れるのにその仕草は妙なほど几帳面で、くすくすと笑いを零しながらヨシュアはもう片方の手を取り、指を絡めた。
「……何笑ってやがる」
怪訝な顔にもヨシュアは答えず、無骨な指の先にくちづけ、小さく音を立てた。アガットの眉間の溝は深まったが、照れ隠しだということはその表情を見ればすぐに分かる。
口元を緩めたまま蒼灰の瞳を見る。不機嫌を装った表情が緩んで歪み、照れた視線が居た堪れなさげに逸れる。その一瞬の隙を突いてヨシュアは相手の肩を押し、ベッドに押し倒した。
「なっ、コラ……!」
「アガットさん」
ちゃっかり馬乗りになり、長めの前髪を手で押さえながらヨシュアはまた微笑んだ。
「キスしてもいいですか?」
アガットは顔を顰めた。それから呆れたように溜息を吐き出すが、その頬の赤さに気付かないほどヨシュアは鈍くない。またくすくすと笑い出した少年をやや手荒く組み敷いて、アガットは白い額を一度弾いた。
「痛っ」
「ったく……いちいち訊くなっつってんだろうが」
「すみません」
苦笑しつつヨシュアは腕を伸ばし、赤い髪に指を差し込んで抱き寄せた。その光景は真白いシーツの海に二人が沈んでゆくようにも見えた。
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ヨシュアは相手を誘う時、髪をかきあげて相手の膝にゆっくり跨り、悪戯っぽい表情で「好きです…」と囁きます。(http://shindanmaker.com/127464)
2011/10/11