まつわる半球の隅
#零の軌跡 #ランディ×ワジ
クロスベルの夜は明るい。導力技術の恩恵を存分に活かした店々は昼間よりも煌びやかに、人々は夜ならではの不思議な高揚に踊らされ、街全体の空気までもがどこかいかがわしいものに変わっている。いかにも『魔都』らしい表層だ。薄暗く濁り、淀んだ深層を誤魔化すためではないのだろうが。
それが旧市街では少し違った。開発途中で放り出されたこの区域に中心部ほどの鮮麗さはなく、街灯も閑散たる様子を白く照らすばかり。それでも漂うのがゴーストタウンめいた寂しさだけでないのは、ここもクロスベルの一部であることには相違ないからだろう。程度は違えど、ここの人間も夜に酔っていることは確かなのだから。
その旧市街の一角で青くネオンをちらつかせるプールバー《トリニティ》の、カウンター席の一番端──彼の指定席でワジは優美にグラスを傾けていた。
「ね、ランディ?」
ん、と軽い返答があり、ネオンより深い青の瞳がワジの方を見る。
彼とワジは少し前に歓楽街で遭遇し、酔いのせいもあってか流れで一夜を共にした。ランディが言うには誘ったのはワジだそうだが、ワジに言わせれば釣られる方も釣られる方で、ともかく互いのことは気に入ったらしく、今は時折こうして杯を重ねる仲になっている。
「たまにはいいだろ?」
自分の手をそれより少し大きな手に乗せ、白い指を絡ませてワジは問う。ランディは思案の溜息を吐いた。
「付き合ってやりたいのは山々なんだが、明日も朝から仕事だしなー……」
結構な体術を使うにしてはほっそりした指のかたちに目を遣りながら、ランディは繊細なグラスに口をつける。ワジはカウンターに頬杖をついて、面白がるような笑みを浮かべていた。
「ふうん、僕より仕事が大切なんだ」
「たりめーだろ。自惚れんな」
「フフ、冷たいね」
ワジは見るからに上機嫌で微笑んでいる。ともすれば鼻唄でも披露しかねない。これほど浮ついた様子を彼が表に出すことは普段滅多になく、しかしランディと飲んでいるときには大体こんな調子だった。互いに軽口を叩き合い、杯を交わし、心まで酔い、酔わせる。ワジの本領発揮と言ったところか、付き合うランディも満更でもなさそうだった。
ふと時計を見ると、もう明日が目前に迫っている。さて、とランディはおもむろに席を立った。
「もうこんな時間か。ぼちぼち帰るわ。邪魔したな」
「アッバス、あとはよろしく」
当然のようにワジはランディの隣に並ぶ。アッバスが言葉少なに頷くのを横目で確認し、二人は連れ立って店を出て行った。
東通りにも人はいなかった。建物の窓から零れる光は温かいが、すっかり片付けられた露店の寒々しさを打ち消すには至らない。そんな中をランディとワジは並んでゆるりと歩いてゆく。他愛ない話に笑い合い、心地よい微酔に浮かれた足取りで極彩の広場へ向かってゆく。
光を溢れさせる鮮やかなネオン。どこからか聞こえる音楽。上滑りなそれらに囲まれても柵中にずしりと構える大きな鐘。デパートやオーバルストアは店仕舞いの時間だ。夜遊びの帰りか、それともこれから繰り出すのか。歓楽街ほどではないにせよ、中央広場にも結構な数の人がいた。
「ほら、この辺でいいだろ」
鐘の正面あたりでランディは足を止めた。ワジはその向かいに回り込み、相手の進路を塞ぐ位置に立ってくるりと振り向いた。
「もう少し二人でいたいんだけどな」
わざとらしい甘えは適当に受け流す。ランディは上着のポケットに手を突っ込んで肩を竦めた。
「そういうのは可愛いお嬢さんが言ってくれるから嬉しいのであってだなあ」
「知ってる。でも本当だよ」
ワジは微笑んで小首を傾げた。元々、中性的で綺麗な顔をしているのだ。蠱惑的な笑みを見せられてはつい錯覚しそうになる。ワジ自身もそれをわかっているのか、商売女がするようにランディの左腕を抱いてぴったりと身体を寄せた。
「ねえ、どうしても今日はだめ?」
「勘弁しろって……ほら、代わりにこれやるから」
ランディは空いている右手でポケットの中を探り、ワジの手に小さな包みをひとつ落とす。見るとそれは何の変哲もない市販の飴玉で、ワジは包みを軽く握って笑った。
「これだけじゃ我慢できないね」
言うが早いか、ワジはランディの肩に手をかけ、少し背伸びをして、赤い髪の隙間に覗く耳朶を甘噛みした。油断していたらしく咄嗟に対応できなかったランディの肩はビクリと跳ね、ぞくりと背筋が痺れた。思わず零れた声の甘さに喜んでか、ワジは小さく笑い声をあげていた。
「ワジ!!」
「フフ、びっくりした?」
「びっくりした? じゃねえっての! っとにおまえは……」
ランディは考えあぐねてがしがしと頭を掻く。身体を離し、また向かい合うように立ったワジの楽しそうな顔が最早憎たらしい。可愛さ余ってというやつだ。
やり返そうにも人目がある。しかしこのまま追い返しては気が済まない。誰にともなく悪態を吐いてランディは細い手首を鷲掴むと、ずかずかと歩き出した。ワジは軽やかに笑っている。階段を下り、武器屋の向かい側の角――そこだけ光が差さない真暗闇の部分へワジを引っ張ってゆき、壁際に追い遣る。明色の瞳は穏やかで、その先を見透かしているようでもあった。
そのままランディは覆い被さるようにして唇を重ねた。ワジの背が固い壁に当たる。ついと持ち上がった手は捕まえて壁に押さえ付ける。何か言いたげに小さな声が零れた。二度、三度とくちづけてランディが息をつくとワジはゆっくりと目を開いた。
「ん……ランディ、お酒くさい……」
「おまえもだろ」
「僕は飲んでないことになってるから」
「同じもん飲んだじゃねえか」
「あはは、まあ真面目な人たちには黙っててよ」
今度はワジがランディの頬に手を添えて引き寄せ、くちづける。肩に腕を乗せ、じゃれるように絡ませて指先で赤い髪を弄ぶ。薄らと開く唇の隙間にランディが舌を滑り込ませると伏せた睫毛はふるりと揺れた。真綿に包まれたように、深夜の賑音が耳に入らなくなってゆく。
ぴったりと密着したワジの身体をランディは緩く抱いた。何故かいつも晒されている腰をなぞるように指を這わせる。ぴくりと震えて零れた吐息は熱っぽかった。
ふと女性めいて見えるときもあるが、身体はそれほど柔らかくはない。確かに細くしなやかなラインではあるが、抱きしめれば骨ばった感触がある。しかし漂う甘い匂いが、まるで脳髄をも蕩かそうとするかのように、夜想曲のような雰囲気を持って優美に相手を誘い込む。
ワジが舌の根を掬い上げるようにくすぐり、煽る。身体の底で生まれた甘やかな痺れは背筋を這い上がり頭の中を白く曇らせ、触れ合う舌先から相手にも伝染してゆく。
ランディは相手の胸元に滑らせようとした手を欠片残った理性で引き留め、代わりにきつく、ワジが苦しいと文句を言うほど強く抱きしめた。広場を一台の導力車が通り抜けてゆく。その音が遠退いて紛れてしまうと、ランディは少しだけ腕を緩めた。
「どうしたの?」
「……胸が足んねえ……」
溜息にのせて吐き出された声にワジは呆れて笑った。
「今さら何言ってるのさ」
「俺はこんな断崖絶壁よりわがままボディのほうがタイプなんだよ」
服の上から平らな胸を撫で摩る不満げな手を払いのけ、ワジも不機嫌な表情を作ってみせる。
「ああそう。興味がないなら触らないでくれるかい?」
「拗ねるな拗ねるな」
詫びのつもりか、ランディはその頬に触れるだけのキスをした。くすぐったそうな笑い声がふたつ、暗闇に消えてゆく。友情の軽いハグを交わしてワジが尋ねた。
「ねえ、明日は?」
「よっぽど忙しくなきゃな。まあウチのことだから、明日になってみるまでわかんねえが……」
「フフ、一応楽しみにしてるから」
ワジはアディオス、と楽しそうに笑いながら背を向け、ひらりと手を振った。
クロスベルの夜は明るい。絢爛を背負い去ってゆく後姿にランディは目を眇めた。
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2011/10/27