アンデッド・ピンキーローズ
#碧の軌跡 #ランディ×ワジ #R18
初めて胸の痕を見たとき、とても醜いカタチだと思った。
テーブルには空の酒瓶とグラスが二つ。オレンジ色のソファの背にはボーダー柄のマフラーと黒いジャケット。そしてベッドには赤毛の青年と半裸の少年――この雑居ビル202号室の主ランディと、本当なら隣の203号室にいるはずのワジがいた。
ワジはランディの手を自分の胸に導いていた。掌を肌にぴたりと当て、静かに問う。
「心臓、動いてる?」
声は張り詰めたピアノ線のように真剣で、迂闊に触れれば崩れかねない危うさも潜んでいた。ランディはそこで一呼吸置き、掌に温かい鼓動を捉えてから同じく静かに答えた。
「ああ、ちゃんと動いてる」
「そっか……良かった」
自分より一回りほど大きな手越しに、かすかにだが感じ取れる。どくん、どくんと確かに脈打っている。気のせいではないのだと慈しむように、愛おしむように、ワジは柔らかな笑みを浮かべた。
「……時々わからなくなるんだ。僕は本当に生きてるのか、あのとき死んだままなのか、ってさ」
事も無げな言い草だったが、ランディは顔を顰めた。馬鹿なことを言うな、とロイドが彼に怒ったときのようだ。そうワジは思った。
「死人がこんなことしたがるかよ」
「フフ、そうだね。……君がそう言ってくれるなら、信じてもいいかな」
もうワジは普段の声色に戻っていた。戯けてキスをねだる声や表情も、どこか他人事のような軽さも普段と同じ。
「ね、キスして……」
囁いてワジは首を少し傾げ、小生意気に顎を持ち上げて長い睫毛を伏せる。その唇にランディは自分のそれをゆっくりと重ねた。焦れた細い腕が首に絡む。指先が緩く結った赤い髪を解き、ワジは蝕むようにくちづけを深めてゆく。酒の助けも借りて思考は充分に鈍っていた。脳に直接響いてくるような水音に感覚がすべて麻痺し、同時に研ぎ澄まされるような錯覚を覚える。ワジはそれが好きだった。
生者を相手に生死確認という儀式は素面でするにはあまりに重い。だから酒盛りを口実にして、二人ともその勢いに負けたことにする。流される。さすがに毎晩は叶わないが、最近になって結構な頻度でワジはそれをせがむようになっていた。もう隠す必要もないからだ。
初めてワジの《聖痕》を見たとき、ランディはそれを美しいと思った。白皙の薄い胸に描かれた紋様は神秘的で、ある種の禁忌のような魅力を孕んでいた。触れるべきものではないと直感するのに、惹きつけられ、抗えない。今もランディは痕をなぞるように指を滑らせていた。そうしてワジが眉根を寄せたのを見て、小さく声を上げて笑った。
「やっぱり嫌そうだな」
「わかっててやってるんだろ。……ああ、大嫌いさ。こんなモノ」
「まあそう言うな。綺麗だぜ?」
「ランディ、っ」
ちゅ、と痕の上で音が立つと同時にワジの身体が揺れた。もう一度同じようにキスをすれば、今度は鼻にかかった小さな声が空気に溶ける。
「……嫌だって毎回言ってるのに」
ワジは不機嫌そうな声で呟く。何度褒められようとワジにとってそれは醜いものだ。後悔したことはないが、決して望んで得たわけではない。勝手に根付き、顕れたそれを拒む術はワジにはなかった。女神の贈り物と仰ぐ者もいるが、持ち主としては押し付けられたと言いたい。未だ自分の一部とは思えないそれにランディが触れるたび、ワジはそれに嫉妬していた。
ばさばさと服を脱いだランディの逞しい身体に跨り、胸板に指を這わせ、仕返しとばかりに数多の傷痕へくちづけてゆく。くすぐったそうに笑いながらランディは淡い緑の髪を撫でた。掌を頬に添えてやると心地よさそうにワジが瞼を閉じる。猫のようだとランディは思った。
『生』を感じたい。ワジが貪欲に求める理由はそこにあった。自分が生者の皮を被っただけの死者でないことを確認するために、ワジはより強い感覚を求めた。どうせなら気持ちいい方が良いとは言ったが、本心は例えば身体が砕けてしまっても構わないのだろう。仮にそうして彼が『死ぬ』ならば、それは彼が『生きて』いたことの揺るがない証明になる。
こんなモノに生かされて、なんとも哀れじゃないか。そう言ったワジの自嘲に満ちた笑顔を思い出してランディは溜息を吐きそうになった。ワジの苦悩は深すぎる。到底他人が同情できるものではない。聞けば既に七年もワジは耐えてきたのだから、今更誰かと分かち合うつもりもないだろう。ランディに出来るのは、不安定に傾いだワジにその確かな生を教えてやることだけだった。
こうして垣間見るワジの内面はボロボロだった。詳細は知らないが酷いトラウマを薄れもしないカタチで胸に抱え、押し付けられた『偽りの生』に慨嘆し、しかし外面は何のことはない『神秘的なカリスマが売りのクールビューティ』であってみせる。ワジは《ワジ・ヘミスフィア》を演じているのだ。不良少年であり、ホストであり、星杯の騎士である一人の少年の姿を、全くもって無自覚に。如何にもそれが本質かのように、恐らくは見失って。
行為の間中、ワジは飽きずに求め続けるくせに無様に乱れることはなかった。普段と変わらない余裕を纏ったまま、それが相手を煽ることを知っていて更に挑発した。暗闇では金色にも見える瞳は誘惑の色を絶やさない。華奢な肢体はしなやかに、透き通るような肌は淡く染まっている。吐息を掠めるようなキスをしてワジは囁いた。
「ん……ほら、頑張ってよ……全然、足りないんだけど……?」
「無茶、言うな、っての!」
抱えた脚を肩に担ぎ、半ば自棄に奥深くまで打ち付けるとワジの口からは甘ったるいほどの声が落ちる。ランディは窘めるように低く名を呼んだ。
「ホテルじゃねえんだから、もうちょい声抑えろ」
「無理」
即答して悪戯っぽくワジは笑った。
「だって君、結構激しいじゃない?」
「お前がそうしろって言ってんだろうが」
「ああ、そうだっけ」
ワジが悪びれる様子は欠片もない。赤い髪を撫でながら頭を引き寄せ、呆れを隠さない相手を宥めるように唇を重ねる。浅い代わりに何度も、何度も。ランディが額や頬に張り付いた髪を払ってやるとワジは微笑み、その手を取って愛しげに撫でた。
「じゃあさ……口、塞いでいてよ」
「手で、か? 枕でもなんでも使えばいいだろ」
「君の手が好きなんだ」
ワジは微笑み、掌に唇を寄せてみせた。ランディは眉間に浅く皺を寄せ、ひとつ息を吐き出す。
「この隠れ変態が」
「それはどうも」
「褒めちゃいねーよ」
ワジは楽しそうだった。導かれるままに渋々口を塞ぎ抽挿を再開してみて、やられたなとランディは思った。自分の手が喘ぐ相手の口を覆っているというのはひどく倒錯的だった。その上くぐもった声は色を増して響く。掌に感じる吐息の熱さも、甘えた猫のような視線も、びくりと跳ねる腰や手足も、今はワジのすべてが劣情を煽る。繊細な指先のひとつひとつにも艶気を含ませ、この小さな空間に振り撒いてワジは笑っていた。
何処で覚えてきたんだか。たかだか17か18で生意気なこった。
ほっそりした指がゆらりとランディの腕を掴んだ。視線が絡むとワジは濡れた目を細め、もっと、とうわ言のような儚さでねだった。
「お前……少しは、恥じらいってものをだな……」
「君には……要らないと思って……」
マセガキ、とランディが悪態を吐く。ワジは楽しそうに、どこか幸せそうにも見える表情で笑っていた。
「……馬鹿だよね、本当に」
「いいんじゃねえか? 俺はそういうのもアリだな」
「責任取ってくれるかい?」
「朝までならな」
「充分さ」
------------------------
アンデッド・ピンキーローズ
2011/12/01