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可惜夜

​#+C #天狼×十六夜 #R18

 幼い頃から、満月が過ぎると十六夜は少し様子がおかしくなった。正確には満月の次の晩だけ──暮れた空に月が現れてから朝焼けに消えるまでの間だけ──やたらと月を見つめては上の空になる。あまり見てると攫われるぞ、と年長者が茶化す声も聞こえていないような、魂ごと心を奪われでもしたような異常さだった。一睡も出来ずにふらりと出かけて夜通し月を見ていたこともあったらしい。
 ──子供だから月の魔力にやられてしまったんだな。満月に惹かれる子はよくいるだろう? 同じことだ。放っておいても、大人になれば勝手に治まる。
 昔、誰かはこう言っていたが、十六夜は十年を優に超える時を経ても尚、月に惹かれ続けている。彼自身が誤魔化す術を身につけ、不可思議な症状は克服したと周りが思い込んでも、近しい者は知っていた。ふと夜空へ視線を取られるときの表情は虚ろで、何も変わっていなかった。

 ありゃ呪いだな、と集落の老薬師は幼き日の天狼に耳打ちした。
 ──十六夜という名に宿った呪いだ。削れちまった月が寂しくてあの子を呼んでるんだろうさ。人の手じゃどうにもならん。……そうさな、いつか本当に攫われんように、お前が見張っておいてやれ。
 軽い冗談めいた語り口だったが、当時の天狼は真に受けた。月が誘う心を大地に繋ぎ留める杭の役目を負ったのだ。子供の純朴さゆえか、やがて十六夜月の晩でなくとも二人はほとんどの時を一緒に過ごすようになった。一晩だけ誰より側にいて、他の時間は知らん顔でいるなんて高度な関わり方は出来なかったのだ。十六夜は急に距離を変えた友に最初は戸惑ったが、素直に受け入れるまで時間はかからなかった。

 こうして強く縁を交えることとなった二人がその先へ迷い込むのは時間の問題だった。天狼は十六夜を守ることを使命にすら感じていたし、十六夜は天狼の明快さがとても好きだった。秘密の共有という要素も背を押しただろう。
 満月を憂い、翌晩の月に嫉妬し始めたのはいつだったか、天狼はもう忘れてしまった。忘我の空虚から引き戻す手に焦がれ始めたのはいつだったか、十六夜はもう忘れてしまった。今となってはきっかけはなんだって良いのだ。幼心に芽吹いてしまったものは、月の巡りと同じく人の手で止めることなど出来なかった。何かの拍子に言の葉が溢れ出て初めて、二人は互いの心に咲いた花が同じ恋だったことを知った。

 

 ざくざくと枝葉を踏みながら山を下りてゆく。日は数分前に落ちて辺りは暗闇に呑まれつつあるが、ホクレアの眼には彼らの通ってきた獣道が見えている。この薄闇にも慣れたもので、多少帰りが遅くなろうが今は慎重に進む方が重要だとわかっていた。素人ではないのだから、焦って無用の事故を招く必要はない。
「明るいうちに帰れると思ってたんだけどなぁ。なー十六夜……十六夜?」
 天狼が足を止め、振り向く。少し後ろを歩く十六夜はぼんやりしていたようで、天狼にぶつかる寸前で我に返った。
「え、あ、何?」
「いや、すっかり日が暮れちまったなって」
「……ああ。うん、そうだね……」
 曖昧に頷き、十六夜は空を仰いだ。
 茂る木々の葉の隙間から覗く空は夕の淡紫から夜の群青へ移っており、星々がささめいている。そこへぽっかりと浮かび上がるように月がいた。鈍い白光、満円より僅かに削れた形、躊躇うように顔を出すことからその名を受けた十六夜の月。身体の奥底から押し上げられるような衝動が襲いかかり、十六夜の背筋が凍りついた。
 硬直してしまった十六夜に首を傾げ、天狼も上方を見る。そして舌打ちした。またお前か、と呟き、呆然と立ち尽くす十六夜の肩を叩くと、十六夜はビクリと肩を跳ねさせて後ずさった。
「十六夜……」
 異常なまでの怯えように天狼は驚いた。十六夜は浅く息を吸った。表情は申し訳なさそうなものに変わっていた。
「ご、ごめん……」
「気分とか悪いのか?」
「大丈夫……大丈夫だから、触らないで……」
 十六夜はほとんど自分に言い聞かせるように呟いていた。顔が赤く、呼吸が荒い。今までこんなことはなかった。天狼が熱を確かめるため手を伸ばすと、十六夜は逃げるように背を向けた。
「どうしたんだよ」
「天狼、先に帰っててくれないか」
「こんな山ん中にほっとける訳ねーだろ! そこに小屋もあるしさ、休んでけば――」
「いいから帰れって」
「だってお前フラフラしてんじゃん。ほら」
 今にも崩れ落ちそうな身体を支えようと、天狼は十六夜の肩を支えた。尋常でない震えが掌から伝わったかと思うと十六夜は手を振り払い、掴んで小屋へと引っ張り出した。
「い、十六夜?」
「わかんないよ、わかんないけどっ……ああもう、だからいてほしくなかったのに……」
 八つ当たりするように髪を掻いた十六夜の頬は鮮やかな朱に染まり、俯いて泣き出しそうな顔をしていた。
「天狼、して」
「してって、何を」
「言わせるなよ!」
 乱暴な音を立てて扉が閉まると同時に口を塞がれ、天狼は瞠目した。見慣れた褐色の肌と白銀の髪が近すぎる位置にあり、重なり触れているものは温かくて柔らかい。決して覚えのない感触ではないのだが、それゆえ余計に天狼は戸惑った。
 一度では足らず、熱っぽい吐息を零してもう一度、今度は深く。衝動は冷めるどころか悪化の一路を転がり落ちてゆく。ふわふわと覚束ない身体を擦り寄せて懇願した。
「お願い……もう頭おかしくなりそうなんだ……」

 


 閉じた木窓の隙間から光が滲んでいる。部屋の隅、質素な寝台の近くに二人分の衣服が落ちていた。
 聞こえる息遣いは荒い。濡れた幹を掬うように撫でられて十六夜の腰は跳ね、本人の意思に反して手に擦り付けるような体勢になった。天狼は思わず唇の端から舌を覗かせ、指先で括れをなぞった。
「すげー。かわいい」
「てん、ろ……あっ、やめ……」
 十六夜は首を横に振っていた。力なく左手で天狼の手を止め、眦には涙が滲んでいた。暴走する体に頭がついていかない。顔を背けているのがせめてもの抵抗だ。
 天狼は緩く握ったその先端を擽りながら、笑みを作ったままの唇で肌に触れた。首に貼り付いた髪をそっと除け、胸元へ下りてゆく。解けた髪もするすると肌の上を滑っては快感を煽っていた。十六夜は右手の甲を噛んだが、天狼はその手を包むようにして取り上げた。
「ダメだって噛んだら。前くちびる切れちまったろ」
「やだ……」
「ダメ」
 天狼は拳を解き広げ、指を割り込ませ、絡ませた。いつもより素直な十六夜がどんな風に甘え、ねだり、泣くのか、余さず聞きたかった。意地悪だと自覚はあるが、許したらきっと来月まで後悔する。
「全部聞かして?」
「恥ずかしいのに……」
「泣いてもダメー」
 十六夜が涙声で唸っても天狼はどこか得意げに笑っただけだった。
「なあ、十六夜。どうしてほしいのか教えて」
 天狼の予想通り十六夜は言葉に詰まる。彼の中で恥じらいが勝ってしまうのはいつものことだ。
「そんなの……勝手にすればいいじゃないか、いつもみたいに……」
「それでもいいんだけどさ、今日は言ってくれるまで待つ」
 普段なら折れるところなのだが、今宵なら言ってくれると天狼は確信していた。
 だって、あの十六夜がこんなに欲情してる。俺のこと誘うくらい。
 十六夜は大いに迷った挙句、横に顔を逸らして天狼の頭を抱き寄せた。自分が今どんな顔をしているのか見られたくなかった。
「……今日だけ、だから」
「うん」
 それさえなければ叫ぶこともできたのに、羞恥心が邪魔をして言葉は喉につかえた。長い髪に絡んで右手が駄々をこねる。言って、と優しく追い討ちをかけられて漸く口から出たのは蚊の鳴くような微かな声だった。
 天狼は嬉しそうに、小さく声を上げて笑った。

 


「ごめんね」
 ぽつりと事後の空気に融けてしまいそうな、不思議な響きを含んだ声だった。心地良い気怠さに半ば呑まれながら十六夜の髪を梳いていた天狼は、のそりと身体を起こした。
「なんで?」
「いや、変なのに付き合わせて……」
「気持ちよくなかった?」
 やけに真剣な眼差しで見つめられ、戸惑いながら十六夜は首を横に振った。気持ちよかったよ、と滑り出た言葉に十六夜が驚くより早く、俺も、と言って天狼は表情を崩した。
「初めてそっちから誘ってくれたし、ありえねーくらい甘えてくれたし、もうすっげーかわいかったし……はぁ、夢じゃなくてほんと良かった……」
 悦に入った溜息やだらしないほど緩んだ表情、愛おしげに寄り添う身体中から途方もない喜びが溢れ出ているようだった。かあっと十六夜の顔は真っ赤に染まった。
「あはは、照れてる」
「誰のせいだよ」
「俺?」
 惚けたような声と表情に、ああ余計なことを言った、と十六夜は軽く後悔した。
「俺はさ、もっと、いっぱい……嫌になっちまうくらい、お前に甘えてほしい」
 天狼は自信ありげに笑みを深めた。
「まあ嫌になんかぜってーなんねーし?」
 ばか、と背を向けてしまった十六夜の頭を撫で、天狼は白み始めた空を見遣った。月は薄れて暁に溶けようとしていた。お前にはやらねーぞ、と余裕を漂わせ、鈍い光に目を細める。月が笑ったような気がした。

 

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可惜夜
そうだったらいいのにな(捏造設定

​2012/02/14

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