narcotic
#零の軌跡 #碧の軌跡 #ランディ×ワジ
《黒の競売会》から一週間ほど経ったある日のことだ。よく晴れていた。ロイドとエリィがキーアを連れて親子のような睦まじさで街へと出かけて行き、特務支援課のビルに残ったティオとランディが貴重な自由時間をどう過ごそうかと考えていたときに彼はふらりと現れた。
気付いたのは、一階でデータベースの整理をしていたティオだった。来客の気配にツァイトが吠え、振り向いた彼女の目に入ったのは、早くも見慣れてしまった彼が入口の扉を開けて入ってくる姿だった。
「あ、ワジさん」
「ちょっと邪魔するよ。ランディを借りたいんだけど、いるかい?」
「はい。2階にいると思います」
礼を言い、ひらりと手を振ってワジは階段を上ってゆく。その背中を眺め、数分視線を上空に向けた後、ティオは不思議そうに首を傾げた。それを見てツァイトも同じように首を傾げる。
「……いえ、なんでもないです」
ティオはツァイトに微笑むと端末に向き直った。
彼女は二つの生体反応が裏口からビルを出て行ったのを感知していた。ランディとワジであることは確かめるまでもなく明らかだ。ランディが何も言わずに出かけた点は少し気にかかるが、ワジが一緒なら行先は歓楽街に決まったようなものだし、二人がどこで何をしていようが全く興味がない。ティオの今一番の関心はキーアたちがいつ帰ってくるかにあった。
ティオの予測通り、ランディはワジに連れられて歓楽街に来ていた。ひとつ予測から外れたのは、二人が訪れているのがバーでもカジノでもなく、安い連れ込み宿の類であることだけだった。
やや手狭だが小綺麗な部屋へ入るなりランディはベッドに身体を投げ出した。すぐ後に部屋へ入ったワジはおかしそうにくすくすと笑い、洒落た青い上着をスタンドに掛け、冷蔵庫からハーフボトルの赤ワインを持ち出す。椅子を引いて腰を下ろし、優雅に脚を組む様子は未成年とは思えないほど明らかに場慣れしていた。
ワジはランディが何か思い悩んでいるということを見越して誘った。しかし相談に乗る訳ではない。相手が一人で抱えたいと言うのならワジはそれを無理にこじ開けようとは思わないし、ランディが今抱えているのはその類だろうとアタリをつけてもいる。
夜遊び仲間のノリが悪いとつまらないから、とワジは言い訳のように笑った。こうして『特務支援課』から連れ出したのは少なからず彼なりの親切なのだ。ランディもわかってはいるのだろう。物憂げな様子を隠さずに、しかし何も言わず、気怠そうに布団の上を転がっている。
背の低いボトルの簡易栓を外し、シンプルなグラスに注いでワジは目を細めた。安物と侮るには案外良い香りがする。そうしてもうひとつのグラスを手に取り、仰向けの大の字をつくっているランディに声をかけた。
「飲むかい?」
「昼間だぞ」
「それで?」
「……やめとく。悪酔いしそうだ」
少しがっかりしたようにワジは鼻を鳴らした。試しに一口含んでみると味は見事に値札通りで、肩を竦めてグラスを置く。ランディが酒の助けを借りないのならワジが飲んでやる理由もない。
手の甲で目を覆った格好のランディから揺れる赤の水面に視線を滑らせ、ワジは穏やかに問うた。
「どうだい、支援課は。居心地は随分良さそうだけど」
「ああ……良すぎるくらいだ」
ランディは影のある笑みを見せ、ワジに背を向けるように寝返りを打った。ふうん、とワジは呟いて頬杖をつく。
「そんなに自分を責めることないんじゃない?」
横たわる背が僅かに揺れた。ワジが浮かべた笑みは薄く、哀れむようでさえあった。
「最近そういう顔してる。記念祭が終わってからかな」
自分を許せないんだろう。
ミシュラムでガルシア・ロッシが『ランドルフ・オルランド』の素性を明かして確信した。《闘神の息子》と呼ばれ──《赤い死神》と呼ぶべきだろうか──血泥の煉獄を駆け抜けてきた人間が、今では“頼れる兄貴分”だ。そのギャップが誰よりも苦しいのは彼自身以外に有り得ない。
気の置けない仲間に囲まれて幸せを自覚した途端、ふと思い出して我に返る。忘れてはいけない。許してはいけない。俺は血塗れの──。
ランディは暫く沈黙していたが、やがて力なく笑って身体を起こすと深い溜息を吐き出した。
「……参った。そこまで顔に出る方じゃないと思ってたんだが」
ワジは小さく声を上げて笑った。
「いいじゃないか。僕は許すよ。君を許してあげる」
こんなに情けない背中を見たら一発蹴ってやりたくもなるけど。そう思いはしたが、そんなことはちらりとも出さずにワジは言葉を紡ぐ。
「だからこういうときくらい、そういう無粋なことは忘れて」
ぎしりとベッドを軋ませてワジはランディの背に抱きついた。甘えるように腕を絡ませ、さながら悪魔の囁くように優しい声で耳元をなぞってゆく。
「頭の中、真っ白にしてさ。今だけはちゃんと僕を見なよ。ほら、上の空じゃ勿体無いだろ?」
「自分で言うか」
「まあね」
緩慢に振り向くランディの頬に、そして唇にワジは優しく指を滑らせていった。
「夢を見せるお仕事だからさ」
「お仕事、ねえ」
「ああ、心配しなくても君との付き合いは完全にプライベートだから」
時間制限も追加料金も無い。軽口を叩いて微笑み、惑わす。誘う。意識の矛先をぼやかして惹きつける。戯けて広げた両腕は女神の翼にも似ていた。
「どうぞ。遠慮なく」
受け止める。八つ当たりでもいい。どんなに暴虐な衝動も許容してみせる。──それが聖職者ってやつだろう?
馬鹿馬鹿しい言い訳をして唇を歪めながら、ワジはそれを楽しんでいた。燻る苛立ちを容赦無く叩きつけてくるのはそれだけ心を許しているからだ。愛おしく思いこそすれ、腹を立てるのはお門違いだと思った。
だからこうする方が好きなんだ。御為倒し。そりゃ苦しいし、Mって訳じゃないけどさ。
事が済めば相手を自己嫌悪に陥らせるかもしれない。だがワジは思う。それがなんだ。その程度なら左手でも掬ってやれる。
ねえ、と呼ぶ声に応じてランディは唇を吸った。自傷に付き合ってやるつもりはないが、相手の要望は叶えてやりたいと思う。それが男だとしてもだ。美人が自分の手によって悦ぶのに悪い気はしない。
優しく労るだけが優しさではないと良く知る者同士だからこそ成り立つ交渉は痛々しいかもしれないが、腫れ物扱いは互いを傷付けるだけなのだ。凍えそうな夜に素知らぬ顔で熱源に手を伸ばすことに何の罪があるだろうか。
聞き慣れた微笑は様々に色を変え、耳に心地よい。今は誘惑の響きを孕んだそれは痺れるような愉悦を与えた。
目の横でワジの白指が赤髪を弄ぶ。斜陽が差して朱に染まった部屋で、ランディは首を傾げた。
「君は美しいよ。きっと君自身が思っているより、ずっとね」
「嫌味か?」
ワジは言葉の代わりに微笑を返した。
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narcotic
2012/02/29