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​眠れる君にサテンのばらを

​#図書室のネヴァジスタ #辻村+白峰 #N卓

 まるで長い刹那を泳いでいたように、今更ではあるが春人は錯覚を自覚していた。
 刹那は一瞬。瞬く間に過ぎ去り消えてしまう。快楽も幸福も一瞬ならばその一瞬に沈んでしまいたかった。目を閉じて、呼吸を止めて、この体全部を投げ出したい。溺れて息が絶えるならどんなに幸せだろう。

 短く、狭く、脆い一瞬だから愛おしいのだ。
 永く緩やかな眠りではなく、瞬く間に泡と消える覚醒であって、朱い針の先のように傷を免れ得ないもの。それを知って尚求めやまないのなら、その痛みは甘やかだろうか。

「……煉慈」

 ──いま、このときがすべてで、いいでしょう?

 言えなかった。彼はまだ未来に絶望していない。変わらず明日が来ることを悲観していない。積み重ねた過去を見捨てていない。そんな彼に、その尊い歩みを止めて過去も未来も諦めろなんて残酷なことは言えなかった。

 文字通り桁の違う時間が塗り替える徹底した客観視に侵され、喜怒哀楽の無意味を知ってネヴァジスタは少しずつ人間から、生き物から離れてゆく。かつては到底知り得なかった無為をネヴァジスタは知っている。

 呟く声に自嘲はない。ただ、その手に一輪の薔薇もないことを惜しむばかり。
 春人は膝を折り、恭しく彼の瞼に触れた。

 どうかお願い。その目は閉じたままでいて。

 

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​眠れる君にサテンのばらを

​2012/08/05

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