ライプグリーン
#幻水紡時 #デューカス+ゼフォン
視線。冷たく這いずり、熱く絡みつき、いつも身体の何処かに貼りついていた。手、足、背中、後頭部、顔だったこともあるだろう。対象が立っていようが座っていようが、戦闘中だろうが食事中だろうが、視線はまるでお構いなしのようだった。
デューカスは首筋を掻いた。表面がざわつくような、むず痒いような感じが残るのだが、触れて分かる範囲にこれといった異常はない。僅かな苛立ちだけがある。例の視線は常に、デューカスがそれに気付く一刹那前に呆気なく剥がれて、肌にひりつくような名残を燻らせた。
デューカスも歴戦の兵士である。アイオニア聖皇国軍、第四枝団の第一先遣隊――本隊の進軍にあたり必要な情報の収集を任される重要な部隊の長を任されてもいる。故に、役に恥じない程度には鋭く、目敏い自信があった。些細な物事こそ見落としてはならない、と肝に銘じてきた。それが今、どうだ。始まりがいつだったかも分からないが、こんなにもしつこい視線の主をまだ捉えられずにいる。
「これはやっぱり、歳なのかねぇ」
自分に言い訳をした。頭や首といった急所を狙われても気付けなかったのだ。自分が衰えたのではなく、相手が何枚も上手なのだと認めるべきだった。しかしそれでは得体の知れない相手を恐れてしまう。恐怖は思考を阻害する。そ知らぬ振りでやり過ごすことも時には必要だと思う。
その主こそ不明のままだが、視線が毎回少しずつ違うものであることは、デューカスは察していた。それは主が伝えようとする感情であり、温度であり、色合いだった。赤く、青く、熱く、冷たく。無遠慮に、慎重に、茫然と。殺気は僅かな差で逃がした。観測には気付くのが遅れた。慕情はそれと分からなかった。鈍いね、と耳元に囁かれた気さえした。過去に聞いたことのあるような、そのとき初めて聞いたような、何やらひどく屈辱的にも感じられる口調と音程を幻聴した。
くす、と誰かが笑う。左手に纏わっていた視線が剥がれたことに気付く。またかよ、と呟いた途端、デューカスは総毛立った。
柔らかな視線だった。母親の腕に抱かれ、ゆったりと頭を撫でられているような心地がする。気のせいでは流せない。薄気味悪いどころではない。何の嫌がらせだ、と怒鳴りつけたいほど優しかった。その上、彼はもう気付いたのに、視線は面白がるように、まだそこにあり続けた。散々に撫で回した頭から徐々に下り始めた。全くもって訳が分からない。例えば鼻先に刃を突きつけられたとしても、これほど狼狽するかどうか。
誰かが今度は溜息を吐く。半ばカッとなってデューカスは振り向いた。ちょうど隙間の時間らしく、他に誰もいなかった食堂の入り口に、少年が立っていた。白い髪に褐色の肌、その上に真っ白い外套を纏う、何かと目に付く外見の彼は紛れもなくゼフォンだった。
「んだよ、お前か。何か用?」
「別に。ちょっと見てただけ」
そうかよ、と言って頬杖をついたデューカスの向側にゼフォンが座った。
「じいー……」
わざわざ口でも言うほど熱心に見つめられ、デューカスは一瞬たじろぐ。翠色の瞳は底なし沼のようだった。物言いたげな視線が体中に貼り付く錯覚の不快に押され、不思議と弱り切った顔になるデューカスは、なあ、と躊躇いがちに声を掛けた。
「何そんなじーっと見てんだよ」
「それ本気で言ってる? てっきりフリだと思ってたんだけど、ホントに鈍かったんだ」
「え、何が?」
心底呆れたという風にゼフォンは大袈裟な溜息を吐いた。柔らかそうな跳ね髪を細い指で苛立たしげに掻き上げた。
「ねえ。いい加減、気付いてくれてもいいんじゃないの」
俯いて睨め上げる瞳と、軽く尖った唇。拗ねているのか、と気付いた。彼が何かに気付かないから、痺れを切らしてやって来たのにまだ気付かないから、ゼフォンは拗ねているのだ。ここまで考えつけば後は言わずとも明白で、デューカスは思わず派手に椅子を蹴って立ち上がった。
「お前かー!」
「そうだよ。ボクずーっと見てたのに、全然こっち見てくれないんだもん。寂しかったなあ」
「寂しかった、じゃねえよ。人のことをジロジロと変な目で見やがって」
「へえ、それは心外。ただ見てただけなのに」
「嘘つけ」
なあに、と聞こえなかったふりでゼフォンは首を傾げてみせた。眉をひそめ、身を乗り出して声を低くし、デューカスは問うた。
「お前、なんで俺を見てた?」
ゼフォンは両目を僅かに見開いて二度瞬き、デューカスのやや垂れ気味の眦から無精髭の生えた顎を撫でるように視線を流してからニヤリと笑った。
「ああ、そっか。そうだよね。あんなに見てても気付かなかったんだから、当然気付いてないんだよね」
「焦らさなくていい。結論だけ言ってくれ」
「嫌だよ。そんな野暮なコトはしません」
渋い顔のデューカスを尻目にさらりと席を立ち、これ以上ないというほど爽やかにゼフォンは微笑んだ。
「散々無視してくれたお礼。分かるまで、いくらでも見ててあげるから」
げえっ、と思わず呻いたデューカスは更にがっくりと俯いた。ゼフォンが笑みを深め、あの異様に優しげな眼差しを向けている。マジでその目だけはやめろ、と半ば懇願する調子で言うと、その耳元でさえずるような笑声が鳴った。
「それじゃ、またね」
何度目なのかもわからないが、これ以上『また』があってたまるか。とは思うものの、現時点では何の対策も思いつかない。それに、視線の全てが不快かと言われればそういう訳でもなかった。多少見られたからと言って実害はないのだし、第一、気付かないのなら敢えて気にすることもない、はずだ。
あからさまに気が乗らない生返事をしてデューカスはのそりと顔を上げる。やっぱりな、とつい呟いてしまうほど予想通りに、既にゼフォンはいなくなっていた。
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三都59にてリクエスト頂いたデューカスとゼフォンのお話。
2013/04/14