フェンネルとアニス
#弱虫ペダル #真波→東堂
「探しものはなんですかぁ、見つけにくいものですかぁ」
ふんふんと鼻歌でリズムを取りながらペダルを踏む。軽快な曲調に反して表情はやや曇っている。
うーん、と唸り、首をひねる。気が散って仕方ない。得意なはずの山登りでふらつく始末だ。カバンの中も机の中も見当がつかず、もしやこれならと自転車に乗ったが、特に意味はなかったようだ。考えは相変わらずまとまらない。
横から急に声をかけられ、真波が顔を向けると、珍しく心配そうな顔をした東堂だった。
「あれ、オレ気付かなかった。どうかしたんですか」
「それはこちらの台詞だよ。いくら練習でも、その走りはひどいぞ。調子が悪いのか?」
「いやあ、ちょっと。色々考えてみたんだけど、それっぽいのが見つからなくって」
発言はいつにも増して要領を得ないが、体調を崩したわけではなさそうだった。東堂は安堵した。顔色は良く、いつ倒れるかと焦ったほど危なっかしかった走りも今は安定している。坂を上りながら暗い顔をしている他は、普段通りの真波山岳である。
「何か探しているのか?」
「うん、ええと……決め台詞、探してて」
「決め台詞?」
東堂は真剣な表情で詰め寄った。
「真波、おまえ、やっぱりオレのポジション狙って来てるんだろ? なあ、実はそうなんだろ!? だが、ならん、それはならんぞ。少なくともオレが卒業するまでは、おまえに女子人気ナンバーワンの座は譲れんよ」
「えー違いますよ。どうしてそうなるんですか」
「そりゃ、決め台詞っていったらアレだろ。オレのいつもの」
「ああ、あの長いやつ。違いますって。そういうんじゃないやつ」
自慢の口上を披露する前にかわされた東堂は不満を露わに自転車を少し離した。良くも悪くも嘘がつけない彼の性格は、ひそめた柳眉にもよく表れている。
「じゃあなんだと言うのだ」
「そろそろ仕掛けてみようかなーって、思ってて」
「目的語を省くな。それに、他のヤツらはとっくに山を越えてるはずだぞ」
「いや自転車じゃなくて。……あ、急にめんどくさそうな顔すんのヒドいですよ。オレにとったら大勝負なのに」
「告白でもするのかよ」
不意をつかれた真波が言葉に詰まる。東堂はニヤッと笑った。軽い切り返しから一瞬きらめいたその表情は、弾けるように快活に崩れた。声を上げて笑い、背中を叩き始めた。
「なんだ、そうか! おまえも隅に置けないなァ、誰に告白するんだ? うん?」
「ちょっ、痛い」
加減はしても遠慮のない平手打ちに真波は咽せる。路肩に自転車を止め、真波は怒ったような、照れているような、泣き出しそうな、整った個々のパーツが台無しになるほどくしゃりと歪めた情けない顔をして、それに負けず劣らず情けない声を出した。
「東堂さぁん」
「ハッハッハ、すまんな。うむ、こうなると、おまえが探してる決め台詞というのは告白の殺し文句というわけか」
「……まあ、そうなるんですけど」
東堂はうんうんと頷きながら聞いている。なんでも聞けとばかりに胸を張っている。真波はハンドルに肘をついて項垂れた。
「前から知ってる人なんだけど、急に好きって気付いちゃった、っていうか……しかも、その人には好きな人がいて。オレじゃない、別の人。それでもやっぱり好きだから、いいんだけど……なんて言えばいいのか、オレ全然分かんなくなっちゃった……」
重い溜息を吐いた背中は傍目に面白いほど小さくしぼんだ。東堂はその肩を優しく叩いた。哀れみから声音も柔らかくなる。
「率直に好きだって言えばいいじゃないか」
「それだけでいいんですかね」
「いい、いい。十分だよ」
「じゃあ、それ、東堂さんが言われる側だったら、どうですか。好きの一言だけでこっち向いてくれますか」
「オレか? なんでだ」
「言われ慣れてそうだから」
「……確かにそういう声援をもらうことはあるがな。それとこれとじゃ意味合いが違うだろ、全然」
承知の上だが真波は何も言い返さなかった。咄嗟の言い訳にしてはそれらしい。
東堂は少しの間、黙って言葉を選んでから口を開いた。
「誰かに好きだと言ってもらえるのは嬉しいものだぞ。聞き飽きるなんてことはないし、例えその気持ちに応えられなくとも、オレは真摯に受け止めるよ。言葉にして伝えてくれた勇気には報いなければならんだろう」
あくまで個人的な考えだ、と最後に添えて彼は微笑む。何度でも精一杯、その声に応えよう。それが東堂尽八という男の在り方なのだ。神の名を背負う気高い男の。
しかし、と東堂はひとつ息を吐き、大袈裟に深刻な顔をして腕を組んだ。
「なるほど、おまえの想い人は余程モテるのか。それでは苦労するだろうなあ、分からんでもないぞ。うむ。ならばこのオレがアドバイスをしてやろう」
ビッ、と指を鼻先に突きつける。勢いに負けてたじろぐ真波の目を東堂は見据えた。惹きつける以上に捕まえる。静かに息を吸い、発するその声はいつでも、耳を塞ぐような風圧さえ物ともせずに体の芯へ響く。
「カッコつけるな。真波、告白は真剣勝負だよ。余計なことを考えてちゃ勝てるものも勝てやしない」
「は、はい」
「背筋を伸ばせ。まっすぐ目を見ろ」
「はい」
真波は言われた通りに姿勢を正した。東堂を正面に捉える。それでいい、と緩んだ微笑に思わず頬が熱くなる。
「そしたら後は、一言で十分だ」
「……うん」
頷く横顔は満足そうである。役目は果たしたと言わんばかりに漕ぎ出そうとする東堂を真波は引き止めた。振り向いてちょっと傾げた首筋と眇めて先を促す左の眦に声が喉元で躓きかけたのを無視して、東堂さん、と呼ぶ。
「オレの好きな人、言ってもいい?」
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告白の日2014
2014/05/09