君は秀才だとは思う。
#閃の軌跡 #マキアス #夢小説 #名前無し
Ⅰ
彼との逢瀬はこれが三度目だ。
待ち合わせは帝都某所のさびれた喫茶店で、お互いコーヒーを片手に、チェス盤を挟んで座る。そのまま対戦したこともあるし、棋譜を並べて二人きりの検討会をやってみたこともある。狭い盤の上に額を突き合わせての検討は、彼的にはさっぱり捗らなかったようだけれど、ああだこうだと無責任に言い合うのも案外楽しくて良いものだった。
*
「マキアスくん、彼女いないでしょ」
そろそろこの辺りの話題に踏み込んでもいいだろう。第一、もしも恋人がいるなら他の女と二人きりで会ってくれるはずがない。彼はそういう人だ。真面目で、道徳的で、嘘がつけない。
「い、今はいませんが……」
「前はいたの? どんな子だった?」
これは意地悪と分かっていて訊いた。ごめんね、ちょっと見栄張りたかったよね。でもお姉さん、そういうの喜んで食べちゃうタイプなので。ぎゅっと眉根が寄った動揺の顔色に、こちらの頬が緩んでしまう。
「ねーえー、マキアスくん。前の彼女、どんな子だったの? お姉さんに教えてよ」
「おっ、教えられません」
「どうして? いいじゃん、名前は聞かないからさ」
彼の耳元がじわじわと赤くなる。まあ、それは見ないふりをしてあげるので、言いたくないでしょうけど答えをどうぞ。
「……前の彼女なんかいませんよっ。いけませんか?」
百点満点。素晴らしい。
彼は表情を隠すように頬杖をついて顔をそらした。全く誤魔化せていないし、恥ずかしい、というより、悔しい、って顔だな、これは。
「いけないなんて言ってないのに……でも、そっかぁ。やっぱりいないのかぁ」
「笑いたければ笑ってください。ええ、どうぞ!」
「拗ねないの。これでも安心したんだよ」
「え……?」
「マキアスくんって、悪いお姉さんに引っかかりやすそうだから」
思わせぶりな視線を投げかけられてほんの少しだけ期待顔をしていた彼は、そこでガクッと肩を落とした。
「……どうしてそうなるんですか」
「だって、ねえ」
「ねえ、じゃ分かりません」
「そういうところかなぁ」
明後日の方向を見ながらすっとぼけると、彼は眼鏡の奥でジト目になり、ため息まじりに零した。
「いつもそうやって、煙に巻くような言い方をしますよね」
「うーん、大人だからね」
「汚い大人だ……」
「お姉さんのどこが汚いって?」
「あっいや、すみません。今のは、その、言葉の綾というやつで……って、それくらい分かって言ってるでしょう!」
彼は慌てて取り繕う。つくづく素直というか、少し直情的なところがあるのも少年らしくて可愛らしい。何が起きても顔色一つ変えない人っていうのも、それはそれで頼もしく感じることもあるにはあるけど、一緒にいて楽しいかという観点では、彼くらい分かりやすいほうが絶対に良い。感情豊かで、いじり甲斐がある。
大人と子どもの境目に明確な一本線を引くことはできないけれど、彼はその境界上の、まだ子ども寄りのところにいるので、ちょっと羨ましいなぁ、なんて汚い大人は思うのだった。
Ⅱ
初めて会ったとき、彼は制服を着ていた。高名なトールズ士官学院の制服、だけど何故か鮮やかな赤色だった。
あそこの制服は白か緑じゃなかったかな。近所のお嬢さんが休暇で帰ってきたときに、平民は緑、貴族は白、と教えてくれた記憶があった。彼女は緑で、若葉色と呼ぶに相応しい優しげな色がマッチしていて可愛かったし。
でも、彼の着ていた制服の色は赤。それも安っぽい赤じゃなく、深紅。さすが名門校だけあって良い生地使ってるわ、と思ったのも束の間、その上品で素敵な色がいかにも生真面目そうな出で立ちによく似合っていて、思わず見とれてしまった。
先に言っておくが、以前新聞で見かけた大貴族の若様みたいな、とびっきりの美青年ってわけではない。普通も普通、眼鏡外したら輝くかと思ったけど別にそういうこともなく、まあ整ってはいるよね、くらいの顔立ち。顔面偏差値、という概念はあまり好きではないけれど、他に良い指標もないのでそれを借りて言うなら、五十八くらい。美形を見慣れていないこちらとしては、今後も現状くらいの、つまり平均やや上エリアの中に留まっていてもらえると、変に緊張せずに済むので助かる。
落ちついたダークグリーンの短髪、凛々しく上がった眉、細渕眼鏡の奥のやや堅い眼差し、合格点。瞳の色はグレーなのかな、レンズ越しだと甘い色をしている。すっと通った鼻梁と余計な張り出しのない顎のラインはなかなか綺麗だ。どちらかというと鋭く大人びた顔立ちで、薄めの唇を真一文字に結び、休日だというのに制服を着ているばかりかネクタイまできっちり締めて、品物を見るために俯いていても分かる、背筋を伸ばして胸を張る、軍学校式の立ち方。全身で「僕は真面目です」って宣言しているようなものだった。更には、小脇に書店のロゴ入りの紙袋を挟んでいたものだから、なんていうかもう『完璧』の一言に尽きる。ガリ勉だけど運動も苦手ってわけじゃなく、貴族的というよりはやっぱり軍隊式に頭の回転が速そうで、おそらく真摯で、冷静で、慎重で、頑固で、不器用。高貴なロマンス畑の対角線上に住まう、旧き良き時代から続く帝国男児の系譜。根は紳士的と見た。
特記事項は二点、深紅のジャケットの中に着ている襟付きシャツの色が黒だったことと、直線的だけど単なるスクエアでもないような──あ、六角形か──ほんの少し捻ったデザインの眼鏡をかけていたこと。真面目なのは事実だが、かといって地味に収まるつもりもない、とでも言わんばかりのささやかな自己主張。それがまた絶妙に似合っていた。シャツも、眼鏡も、自己主張のやり方も。
そんな彼との接点を作るのは造作もなかった。何、偶然を装って後ろから軽くぶつかり、謝りながら気分が悪そうなふりをしただけのことだ。
近くで見て触れた彼の背丈は遠目の印象より少し高かった。すらっとした長い手足にスマートさも持ち合わせつつ、質実剛健を人体で表現するとこうなるんだなと感心するような安定感──少し父に似てるかも。父は長身が取り柄みたいな人だからもっと背が高いけど──そんなふうに十分成熟した肉体を持つ男性がその鼻先くらいまでしかない女に恐縮しているのを傍から見たらどんな感じだろう、と考えたら可笑しくなってしまって、堪えるのに大変苦労した。ぶつかっていったこちらが悪いのに、やたらと申し訳なさそうな彼の肩が本当に申し訳なさそうに縮こまっていたのも火に油だった。
と、ふざけたテンションでいられたのもたった数秒。彼は本気で心配してくれていたので、さすがに良心が咎めた。なのでお礼とお詫びを兼ねて、近くのカフェでコーヒーを一杯奢らせてもらった。
当然、無言だと間がもてないので、それなりに会話をすることになる。
彼のお名前はマキアス・レーグニッツ。響きが純帝国風で大変よろしい。出身は帝都のオスト地区。ちょっと意外だけど、あの辺りのどこか物寂しい雰囲気も彼には似合うのだろう。聞けばお父上の影響でコーヒーとチェスには一家言あるらしく、小脇に挟んでいた書店の紙袋の中身もなんとチェスの棋譜集だった──プロのプレイヤーでもないのに棋譜を買うのなんてうちの爺さまくらいだと思っていたので、本当に十七歳か? と咄嗟に疑ったのは内緒──つくづく想定通りのお人柄で面白い、なんて頭の裏側でこっそり考えながら、しれっと次の約束を取り付けて、その日は終わりにした。コーヒーとチェス、とくれば『あの店』が気に入るはずだと確信したので。実際、さわりを話しただけでもかなり興味を持ってくれて、案内しようか、と提案したら喜んで応じてくれたのだった。
*
こんな経緯で彼との逢瀬の舞台になった、帝都某所のさびれた喫茶店──種を明かすとうちの大叔父さまの店である。
Ⅲ
うちの大叔父さまはコーヒーが大好きで、その兄であるうちの爺さまはチェスが大好きだ。昔から兄弟仲は良く、大叔父さまの趣味が高じて第二の人生とばかりに始めた喫茶店に早速爺さまが通い始め、爺さまの指定席となった角のテーブル席に趣味のチェス盤と年季の入った棋譜や業界誌を置きっぱなしにするようになったのは当然の帰結というか。まあ、爺さまのチェスは下手の横好きだし、弟である大叔父さまは生憎チェスにさっぱり興味がないものだから、結局、一人で日がな一日、棋譜を並べて頭を捻っていたらしい。それじゃ家にいるのと同じじゃないのよ、と婆さまが呆れていた。ちなみに近ごろは膝を悪くしてしまって、一人で店まで来られないという体たらくである。家から徒歩五分なのに。
で、コーヒー好きの大叔父さまはというと、張り切って店を開いたわりには商売っ気がまるでなく、我こそが帝都で一番美味いコーヒーを淹れるのだ、とか意気込んではいるものの、看板も出さず研究に明け暮れている。近ごろは耄碌し始めて、サンドイッチを頼むとハムを入れ忘れる始末だが、コーヒーに関することだけは恐ろしいほど衰えない。ちなみに、こちらは親戚一同が太鼓判を押すプロ級の腕前だ。
が、しかし、わざわざミラを出してまで飲みたいかというと、皆そこまでコーヒーに情熱を傾けているわけでもないので、店は身内の溜まり場にすらならなかった。現実は得てしてそういうものだ。それでも万が一お客が入ったら大叔父さまにまともな接客はできなかろう、と勝手に心配して、ちょくちょく顔を出すついでに掃除なんかもやってあげているのだが、悲しい哉、いつ行っても閑古鳥が鳴いている。
つまり何が言いたかったのかというと、このさびれた喫茶店には、彼の好きなコーヒーとチェスの二つともがあり、他の客が滅多に来ず、たった一人の店員も客が何を
話したかなんてろくに聞いちゃいない、まさしく密会にはうってつけの環境が整っているってことですよ。
それだけではない。路地の隙間に無理やり詰め込んだかのようにせせこましく建てられた家屋の一階部分を使うこの店は、内部空間も同様にせせこましいながらも、店主のセンスが光るアンティーク調の調度品と、もはや持ち主の置き土産とも言うべきチェス関連用品が良い具合に馴染んで、大変居心地の良い空間に仕上がっている。
実際、彼も一目で気に入ってくれたようだった。そのときは心の底からこう思った──日頃からきちんと掃除しておいて本当に良かった、と。
*
今日の彼は私服だった。まあ、例の紅い制服は良くも悪くも目立つから、カジュアルな格好で、とお願いしているからなのだけれど。
さて本日のコーディネートは、黒のハイネックにダークグレー系のジャケットという、なんだか、そういう感じの若い男性だったら帝國学術院の近くでしばしば見かけるような気がしないでもなく──本当に十七歳か? とここでも疑ったのは内緒──アカデミックさと落ちつきを併せ持つ出で立ちは、元々大人びた印象の彼に大変良く似合っていた。制服のときよりも少し線が細く見えるし、着こなしが馴染んでいるというか、無理に気負った様子がどこにもないので、意外と言ったら失礼だけどセンスが良いらしい。
「それにしても、マキアスくんって面白いよね」
「褒めてるつもりですか?」
「え? うん」
眼鏡の奥のジト目は子どもっぽくて可愛い。睨んでるつもりなのかな。それだと全然怖くないのだけど。
「もう少し気をつけないと、悪いお姉さんは君みたいな子が大好物なんだぞう」
「人をカモみたいに言わないでくださいよ……」
実際良いカモなんだよなぁ、とは言わないでおいてあげた。彼から何かを毟り取ろうとはこれっぽっちも思っていないが、その気になれば、お財布まるごと預けてもらうくらいは造作もなさそうだ。
「……とか」
彼が何事か小さな声で呟いていた。ごめん、聞いてなかった。聞き返すと、彼はどこかバツが悪そうな様子で、控えめな咳払いをひとつした。
「た、例えばの話ですが……その、悪いお姉さんっていうのは、たとえば……あ、貴女とか、ですか」
まあ、確かに、今まで彼に見せてきた言動はどれを取っても良いお姉さんとは言い難いですけれども。いやしかし、その顔はなんだね、君。何故ここで照れる。ここは『僕はカモられてるんですか』って疑ったり怒ったりしても良い場面なのでは。
「……ははあ」
「な、なんですか」
「『お姉さんも僕みたいなタイプが好みなんですか』って聞いてくれればいいのに」
彼は上手く目をそらすけど、やっぱり嘘がつけない。テーブルの下で指がウニャウニャ動いているのが見え見えだった。
「……なんではっきり言うんですか……」
その反応が見たかったからに決まってる。
さて、どうしようかな。好きって言ってあげても良いけど、そのカードをここで切るのは少しもったいない。
──ただ単に、彼に興味が湧いた。あれは一目惚れに近い感覚だったのかもしれない。でも、こうしてコーヒーブレイクをご一緒している理由は本当にたったそれだけなので、お気楽な関係のままでも全然構わないと思っていたけれど。せっかく一手打ち込んできたわけだし、ジャブくらい返してみようかな。
「お姉さんとお付き合いする?」
「え……ええっ!?」
「ご不満かな?」
「いや、それは……あっ、今のは、嫌って意味ではなく……ええと……」
なんだか蒸気でも出そうなくらい、生真面目な顔が一気に赤くなっていく。眼鏡が曇ってしまいそう、と思いついたのが我ながらツボに入って、こらえきれずに笑ってしまった。
「そ、そんな風に笑わないでもらえますか!?」
「ふふ、ごめんごめん。マキアスくんホントに面白くて……」
「あ……貴女の冗談は、冗談に聞こえない」
彼は、眉間にしわを寄せてコーヒーカップを口元へ運ぶ。拗ねているのを誤魔化すみたいに目を閉じてしまうのが本当に可愛い。いや、本当に可愛いな。二回言いたくなるほど可愛い。
手を伸ばして触れた彼の髪は、やや硬めでふさふさした手触りだった。
「……頭を撫でないでほしいんですが」
「よしよし。可愛いね」
「あのですね……」
子ども扱いしないでください、とでも言いたそうな目がジロリと見てくる。
でも、十七歳でしょ。いいんだよ、まだまだ子どもで。
そう思ったのが伝わったのかは分からないが、手を掴まれて頭から外させられた。彼は、彼の手の中にあると実際よりも細く見える手首を握ったまま、眼鏡越しにこちらの目をまっすぐ見た。
「僕も男ですよ」
──不覚にも、こんなベタな台詞でときめいてしまった。
思えば、彼の方から触れてきたのはこれが初めてじゃないだろうか。なんとも色気のない『初めて』にしてしまったものだ。他にいくらでも演出の付けようはあったのに、何もない。ただ彼の手が大きくて熱く、柔らかくはないということだけがわかって、それは少しも子どもっぽくはなく、ちゃんと大人の男性の手だった。──あ、まずい。手首の内側、脈拍がバレる。
幸いにも、彼はまだ気づいていない様子で、しかしいつまでも手を掴んだままは悪いと思ったのか、そっとテーブルに置いて離してくれた。
自由になった手をやけに涼しく感じながら内心ホッとしていると、彼はまた顔を赤くして、自分の口元を手で押さえていた。
「僕は一体何を……」
「……嘘でしょ、自分でやっといて照れてるの?」
「ほっといてください」
「なぁんだ、あのまま襲われちゃうかと思ったのに。まあ、それもアリかなー、なんて思ったけど」
「な、何言ってるんですか!」
「あ、大丈夫。君がそういうことしない紳士だってことは分かってるから」
彼は真っ赤なしかめ面で、口を開いては閉じ、開いては閉じ、何か言おうとしてはやめる、というのを何度か繰り返した。だけど、やがて諦めたようにふうっと息を吐き、コーヒーを一口飲む。なんだろう気になるなあ、とさりげなく見ていると、カップから離れた唇をほとんど動かさずに彼はこう呟いた。
「お望みなら次はそうします」
──いやいや、いやいやいや!
ずいぶん衝撃的な独り言ですね、っていうか、またドキッとしちゃったじゃない。ちょっと、本当に、つくづく君ってひとは。この苦しいくらいの胸の高鳴り、一体どうしてくれるの。
あちらも照れ隠しなのか、彼は手の中で黒のルークの駒を弄びながら、漠然と窓の外を眺めていた。頬は熟れた林檎みたいに赤く、眉はほぼ水平で、唇は引き結んで少し歪んでいた。眼鏡に光が反射していて、目元はあまり見えない。
今のうちに落ち着こう。頭の中で深呼吸を何度もして、指が震えていないのを確認してから、まだ温かいコーヒーを飲む。苦味で目が覚める。良い香り。
ふと、彼と同じものが好きで良かった、と思った。
直後に我ながら首を傾げる。それってつまり、そういうこと、なのか。
「……危ない危ない。本気で好きになっちゃいそうだった」
「へ……?」
振りむいた彼は、まだ頬がほんのりと赤かった。レンズ越しに戸惑いを伝える瞳が丸くなって愛らしい。
「い、今、なんて……?」
「それじゃ、今日はもう帰ろうかな」
「えっ、あの……っ!」
立ち上がろうとする彼の肩を押さえて座り直させた。そして、横から古びたチェス教本を一冊抜いて盤の上に置く。
「その本の三手詰めが全部解けたら、帰っていいよ」
「はあ……?」
「じゃあね、マキアスくん。またこの店で」
彼は、頭の上に疑問符をいくつも浮かべて、こちらの顔と盤の上の教本を交互に見やったが、やがて、「分かりました」と素直に教本を開いた。真面目で助かった。
この一線を超えるにはまだ早い。こちらにも準備とか覚悟とか、色々必要なものがあるのだし、次の一手はゆっくり考えるとしよう──本当に三手で詰められちゃ敵わないもの。
------------------------
友人のリクエスト『年上お姉さんキャラにからかわれて照れるマキアスが見たい』
一人称夢小説ひさびさに書いた
2020/06/10
前のページに戻る